秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

The Freedom Writers Diary

たとえば、人生には明日への希望をなしくしてまう出来事や生活がある。
 
突然の不慮の事件、事故、災害によって身近で大切な人や生きもののいのちが奪われてしまうということもあるだろう。
 
特別な豊かさを求めるわけでもなく、つつましやかで、堅実で、しかしながら、子どもの誕生や成長、結婚や出産、開業、独立といったささやかな生活の一コマ一コマに幸せと喜びを感じ、だが、それらが一瞬にして奪われてしまうという体験をする人もいる。
 
あるいは、中学校の生徒の半数以上が生活保護世帯の地域では、勉強や部活などその年頃の子どもたちが普通にえられている家庭環境さえ保証されないため、高校への進学や自分の将来の夢も描けないという子どもたちもいる。
 
また、何不自由ない家庭環境にありながら、親からも、仲間からも愛を感じられず、自傷やひきこもり、家出を繰り返し、中には、暴力や薬物、セックスに身をさらすことで愛の感じられない現実をやり過ごそうとする人もいる。

人は回復をめざし、挑戦をし、それがいま自分に与えられた環境の中で容易に越えられるハードルではないとわかる、あるいは、周囲にある自分と同じ環境にある人間の限界を映し絵のように見てしまう、そうした自分たちが世間の基準や標準から劣ったものと見なされている…という現実の直面すると、立ちはだかる壁に挑戦する意志や意欲を失う。
 
失うばかりでなく、与えられた環境をどうしようもないものと見定め、それに挑戦できない自分の限界と無念さを違うもので紛らそうともする。
 
だが、ひとつのきっかけ、ひとつの確信、それを与えてくれる何かとの出会いがひとつあるだけで、そうした見定めを自ら乗り越えていこうとすることもできる。
 
人の可能性を信じるということは容易なことではない。だが、人にはそうした力がだれにでも内在している。
 
人が、これまでの自分から違う自分へと変わる。それまで考えていた限界を越えて、何かを実現する…そうした光景にオレは高校生のとき、幾度も出会い、新しい自分を生き始めた同級生の姿を幾人も見てきた。そして、その確信は、その後の人生の中で、こちらが確信を深めるほどに、いろいろな場面で目にすることができてきた。

2007年の名作映画「The Freedom Writers Diary」。アメリカの低所得層が住む街にあった学校で起きた実話。赴任した女性教師が、203教室で英語の授業をやる中で、黒人やアジア系、中南米系の生徒たちが受けている差別の試練を「アンネの日記」や黒人解放運動の映像や書籍を生徒たちに読ませながら学ばせ、自由であることの意味と価値、そして権利を教えていく。

ひとりの女性教師が撒いた種は、203教室の生徒たちの生活観を変え、成績を上げ、そして、その多くが、経済的な壁や試練を乗り越えて大学へ進学した。さらには、卒業後、財団を設立し、教師や学校、地域から見捨てられている子どもたちの教育支援事業をいまもやっている。
 
その彼らが生まれ変わるために書いた日記。それが出版され、映画のタイトルにもなった。
 
福島に、いま自信をなくしてしまった子どもや大人、そして高齢者がいる。避難住宅でありながら、孤独死をする老人がいる。そのときどきの支援も大切だ。だが、何よりも、福島に生まれ、生き延びたことを誇りに思え、明日の「美しい福島」のために、いまを生きる希望ときっかけが必要なのだ。
 
それがいつか、FUKUSHIMAモデルとして、また違う困難にある人々の励みや勇気をもたらすものになるような、The Freedom Writers Diaryが必要なのだ。