秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

私たちの番

何か自分が目標としていること、形にしたいと願っていること、あるいは、手助けや援助を必要としていること…
 
道を歩む中で、ひとりの力では果たせないなにかに向っているとき、そこに、まるであらかじめ約束されたいたように、出会える出来事、人というのは大きな意味を含んでいる…と私は思う。
 
また、そうした出会いがないとき、願いや思いはなかなか形にならないとも思っている。
 
次回作として、こうした作品をつくろう…と決めたのは、昨年の秋以後のことだ。そして、それはいまどうしてもつくっておかなくていけない作品であり、それをつくることが自分の次に与えられた課題・使命なのではないか…そう確信を深めさせたのは昨年の晩秋から年末にかけてのことだ。
 
そこには、私にそう思わせるものとの出会いの水先案内人になってくれた、フリーカメラマンのSちゃんとの出会いがあり、Sちゃんつながりのいろいろな人との出会いがあった。

何事かを実現しようとするには、多少なりとも資金がいる。私のこうした作品をつくりたいという願いに、また、同じころ、東映の部長の紹介で知り合った方が、一緒にやろうと制作費の一部負担を申し出てくれた。しかも、口は出さず、金は出すという人だった。
 
そして、撮影環境がSちゃんの尽力と地元の協力でなんとか見通しがついた。撮影段取りにきちんと入れたのは数日前だ。当然、宿泊などの準備は出遅れた。だが…
 
それもOさんに別件で電話すると、そこに偶然いた福島民報の方の口添えで、とれなかった、2日目の宿泊の段取りがとれた…まさに、すべては、なにかの力や願いに支えられている…そう感じた。
 
そしてさらに、昨日…。
 
東映での5時間以上に及ぶ、久々、気合をいれたオーディションで、驚くほどの才能ある子役たちと出会った。しかも、彼らが所属する、著名若手女優を多く輩出している大手プロダクション事務所は、こうした社会映画への出演は事務所全体としてやっていない。
 
本来、終わっていた子役オーデションだった。じつはすでに決定を出していた主演の子役たちがいた。その情報がいっておらず、どうしてかわらない。あるはずもない、大手事務所から申し込みがあった。
 
大手芸能プロダクションであるがゆえに、じつは多くは期待せず、せっかく応募してくれたのだから…参考程度に様子をみたい…正直、その程度の気持だった。

ところが…。彼らの演技に私は仰天した。まだ小学生ながら、いかに事務所がきちんとした教育をしているか…すぐに直感した。そして、私は彼らと出会えたことに大きな喜びと感謝が沸いた。
 
もちろん、すでに決定をしていた子役たちには申し訳ない。準備にも入っていただろう。が、涙を呑んでもらってでも、私は、その子役たちを採用した。
 
なぜなら、彼らは、きっと、この作品を機会に、人気女優、著名俳優としての道をスタートさせることができる。いや、この作品に出会わなくても、きっとそうなっていくだろう。だが、この作品と出会えたはことは、その道の歩みをより確かなものにする自信を必ず彼らに与えてくれる。
 
残念ながら、すでに決定していた子役たちには、その可能性はない。
 
冷たいと思う人もいるだろう。子どもたちも傷つくと思う。だが、それが役者として天分の才能を与えられたものと、そうでないものの違いなのだ。決定を覆された子役たちは、おそらく、どこかで、いずれ芝居をやめる。そして、やめても大きな悔いは残らなかったろう。
 
だが、今回の二人は、これまでもきっと芝居をやれない、悔しさや涙を知り、それでも、いやだからこそ、役者を続けようとしている。していく。また、周囲が続けさせたいと思う。そのためのサポートも教育もするだろうし、それを身にしていける力が彼らにはある。

その他の俳優で重要な役をやるひとりの男優にも驚かされた。俳優として完成している。年齢は30歳はいっているが、もっと大きな仕事をやられる力がある。
 
すでに著名俳優となっている人間は別にして、まだ、無名か多少程度の仕事をしている俳優たちが、こうした感覚を与えてくれたオーディションはじつは初めてだ。

十全ではない中で、それに近い人を選ぶということの方が多い。だが、今回は、ほぼ、私がこの基準と水準で芝居をつくりたい…そう願う、かなり高いレベルでの配役ができたのだ。
 
社会映画で、これは始めてのことだ。東映東京撮影所の仕事でもそれはなかった。
 
いままでふせておいたが、今回の作品は国際映画祭のコンペ作品になる。役者は整った。次は、私たち、秀嶋組の番だ。