秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そもそもは近代から

先日、山口県の光市の出身だという若い起業家の方が訪ねてこられた。白河を中心に、福島の伝統文化、伝統工芸の再生をミュージシャンやアーティスト、アスリート、私たちのようなNPOと連携して実現したい…

意欲も着眼点もおもしろいと思った。検討には少し時間がいるが、うちの団体に話をもちかけてくださったことに感謝した。

その折、戊辰戦争の話題になった。歴史好きらしく、いろいろ語るうちに、やはり、ご自身が山口の出身ということで、福島の方に受け入れてもらえるか、かすかに不安があったそうだ。

そのとき、私は、戊辰戦争は日本の近代をどう拓くか、日本の近代とは何なのか。そのせめぎ合いが戊辰戦争だったのだと話した。

私たちは、戦前も、そして戦後も、日本近代の問題をきちんと検証していない。

小説家などの芸術家、識者の一部でそれは維新後盛んに行われた。文壇にあり、この課題に苦しんだ作家は、二葉亭四迷に始まり、少なくない。戦後も先の戦争の反省の中で議論されることはあった。

だが、それが広く国民的課題となることはなかった。昨日のブログで福島の自由民権運動にふれたが、じつは、これも戊辰戦争を勝利した薩長土肥を中心とした勢力との近代とは…の闘い、次の戊辰戦争だったのだ。

現実に、維新後、萩の乱佐賀の乱神風連の乱西南の役と維新政府内においても、近代の在り方をめぐる攻防があった。それほどに、維新という近代は歪だった。維新の志士を崇めるのは、維新近代の正当化のために過ぎない。

私は、いまの安保法制や憲法の問題における対立や齟齬は、じつは、すべて、この、日本における近代とは何か…を問わなかったツケが生んでいると考えている。無謀といえる先の戦争に対話ではなく、武力で立ち向かうことしか知らなかった背景にもそれがある。

東京藝術大学の創立100周年事業の映像分野の総監督をやったのも、こうした意味ではなにかの縁だったと思っている。前身の東京美術学校の初代校長岡倉天心もまた、薩長を中心とした欧米主義の明治近代に抵抗した藝術家のひとりだったからだ。

憲法を破棄して、自主憲法をと叫ぶ人々は、日本独自の憲法をと叫ぶ。アメリカに押し付けられたのだからと叫ぶ。ならば、アメリカのみに加担する安保法制になぜ組みするのか。自立した日本国の未来は破壊されている。アメリカの属国、もしくは51番目の州に成り下がる道だ。日本の矜持はどこにある。

三島由紀夫が「文化防衛論」で示したように、欧米主義に迎合しない自国文化とそれを背景とした近代をなぜ目指さないのか。天心がボストン美術館に維新後、自国文化を顧みず、欧米近代の熱に浮かされ、破棄破壊しようとした伝統美術を持ち込んで守ろうとした、日本文化と精神をなぜ守らないのか。

それを考えても、世界にない独自の日本国憲法を顧みず、明治近代の欧米主義の妄想、武力によってすべてが解決するというアングロサクソン的発想に組みする整合性とあるべき日本人の在り方は、そこにまったくない。

そのそもそもはすべて、明治近代にある。明治はある意味、日本を捨てたのだ。アジアのひとりであることを卑下したのだ。彼らの愛国心とはその程度のものでしかない。