福島との縁(えにし)
この数日、特定非営利活動法人Social Net Project MOVEの第二回市民祭へ向けた調整作業や連絡業務、打ち合わせで慌ただしくなっている。
昨夜は、FBの福島県人会若手グループがやっている交流会「あずまっぺぇ会」に参加。昨年から3度ほど顔を出させてもらい、幹事役をやっているKさん、MOVEのメンバーになってくれたAさんたちともすっかりなじんできてしまったw
実は、会津若松市を地盤とする国会議員のOさんの力を借りたくて、今回は参加していた。山麓地帯でもある会津若松市、県庁所在地である福島市、浜通りの代表的地域であるいわき市は、福島県の3つのの盾のラインの地域性や特色を顕著に持っている。よくいわれる、会津、中通り、浜通りといわれるものだ。
Oさんから他の地域の協力を得る上で必要なアドバイスと戦術を伝授された。それは県全体を考えるなら、他の地域の人々、行政が参加しやすい形にしてくれないかというものだった。会津市長も務めたことのある人間ならではの言葉で、素直に傾聴した。
そのうち、雑談になった。さすがに、会津が地盤だけあって、歴史にめざといOさん。NHKの「日本人は何を考えて生きてきたのか」を見ていた。かつて、福島県が、会津・喜多方地方が、どのような歴史的辛酸を嘗めさせれてきたか。そして、そこから地方自治を求める民衆運動として生れた自由民権運動について、改めて語り合った。
宣伝タイムに手を挙げて、オレは10月27日28日に予定している、MOVE市民祭への参加とボランティア協力、そして、企業一口5万円の寄付をお願いした。そして、福島がいま三度訪れた福島危機を乗り越え、市民主体の地域モデルとして福島モデルをつくりだす、絶好のチャンスなのだと語った。それは成功すれば、世界に発信できるモデルになるのだと。学生たちが反応した。イベントの手伝いを申し出てくれた。
地域の人が主役になって、地域づくりを考え、推進するのは当然だ。それは、行政レベルからでも、市民レベルでも必要なことだ。だが、立ち上がるためのきっかけ、起爆剤は必要なのだ。それは、向かうべき方向性に選択肢を与えることだ…とオレは思う。
これまでと同じように現状を回復したい…と考えている人々もいるだろう。そんなことはできないとわかりながら、それでもかつて現状といわれたものによりすがるしかない人々もいるだろう。また、過去の現状というものが今回の震災であきらかにした限界に気づき、これまでとは違うモデル、新生を行わなければと考えている人々もいるだろう。
また、Oさんが指摘するように、福島県の分散した地域性・特色のために、配慮を持たないと簡単に同調できないという壁もあるだろう。
そうしたことを越えて、合致できる方向性は簡単ではないかもしれない。だが、それだけに、三度の課題を合致によって乗り越えば、そこには、本当に苦労して結実した福島モデルが出現する。MOVEの取り組みがそのささやかなきっかけとなれれば、それでいいのだ。