秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自由さ

何か新しいコトを始める…というとき、すでに新しいことにかかわっている人の力がいる。
 
ところが、新しいことにかかわりあっている人たちの中に、新しいことをやる上でのすでにできあがってしまっている常識がある。あるいは手順といってもいいものがある。
 
どのように新しいことをやるにしても、既存の常識や手順というものは、どこかで必要になる。それはそれで大事なことだ。
 
だが、新しいことをやりながら、そこにある既存の常識や手順に縛られている人が実は多い。そういう人の常識や手順というのは、あまりに当り前過ぎてつまらない。つまらないばかりか、新しいことをやろうとしているのに、つまらない常識や手順ばかりにこだわり、仕事を前に進めることができなくなる。

つまり、新しいことにかかわりあっている人すべての頭が新しいわけではないのだ。これは年齢や経験とは違う。若ければいいのでもなく、若くないからといってダメなわけでもない。

 
たとえば、オレの友人のひとりは、別にITの企業にいたわけでもないのに、旅行業という仕事を通じて、ITを使い、他にない先進的な取り組みをいくつかしている。オレがこうしたいという発想をすぐに理解できるし、それならば…と具体的なシステムまで提案できる力がある。

オペレーションをやる人間は若い方がいいだろうが、そこにたどりつく着想や工夫、発想はそれに限らない。つまりは、これはこうだから、こうしなくては…という発想では何も生み出せないということだ。

これはこうだから…ではなく、これはこうなってないけど、こうしよう…ということが最初いなくてはいけない。そのために、何が使え、何をどう組み合わせればいいかを考えられるかどうかということだ。
 
これも友人のひとり、立ち食いソバ店のチェーン化をすすめている仲間は、現実の事業の中で、SNSを巧みに利用し、そこに求められるものがなにかをよく知っている。工学部修士ながら、コンピュータ嫌い。逆に、それが自由な発想を生んでいる。

EC関連の決裁システムを提供している仲間も、こだわりがなく、発想がやわらかだ。その彼が紹介してくれた、プログラムやソフト開発をやっているEくんも柔軟。

それでいて、現実的に何を突破しなくては、新しいものが生み出せないかをよく知っている。いってしまえば、現実のいろいろなつながりや手配、いわば、現実の常識と手順の中で、現実の信頼を勝ち得ていかないと、新しいものが生み出せないことがわかっている。

ゼロから物をつくりあげる…というのは、芝居でも、映画でも、小説でも、あるいは仕事でも同じだ。それを形にするには、現実的な力技がいる。だが、その力技を結集できるのは、それがこれまでになく、新しい発想と新しい方法、そして、自由な取り組みをしようとしている…という期待感を抱かせるからだ。
 
内容は現実でも、その自由さを失ってはならない。つまらない。