秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

スマートは品位と品格

予想通り、衆議院は年内解散となった。夏頃から臨時国会のある10月から11月が解散時期になると思っていたし、政治に関心のある連中にもそう語ってきた。

「福島・東北まつり」の開催まじか、政府主導の「八重の桜プロジェクト」の事前打ち合わせで国会議事堂の幹事長会議室にいき、そのすぐあと、全中央省庁とNHK、福島県、政府役員の合同会議に出席したとき感じた、官僚たちの空気感も同じものだ。
 
福島復興支援としての「八重の桜プロジェクト」は政府主導でも、超党派、せめて自民との連携でやるべきではないか…実は、その思いがあった。NPO法人として唯一招かれながら、うわついた気分になれなかったのはそれだ。

民主にしろ、自民にしろ、あるいはその他の政党にせよ。復興へ向けた取り組みの緊急性や重要さは、良識のある政治家ならば持たないわけではない。だが、地域再生の象徴として震災をとらえ、それが地域づくりの新しいパラダイムを築く、稀有の手がかりだと自覚し、そのビジョンと方法論を持っている政治家は少ない。

ビジョンと方法論、もっといえば理論がないために、方向性が定まらないのだ。簡単にいえば、被災地はひとつではない、被災した生活者もひとつではない…という現実がよく見えていないからだ。同時に、自分の選挙区や選挙民、自分が選出された地域のことしか見えない、自分の所属する政党しか見えないという狭隘な視野の限界もある。

いままでもそうだが、これからも、どこか一つの政党が圧倒的な支持をえられ続けるという時代はこない。それがいかに第三極などというものであっても同じだ。民主、自民はもとより、小政党でも、TTPをはじめ、政策のひとつひとつが完全に合致することはない。政党間ばかりでなく、政党内においてもそれはどの政党も同じだ。
 
国民生活が多様性と過剰流動性を生きるように、世界の国々でもそこで生きる人々に多様性と過剰流動性が広がっている。成熟した社会を生きる国々がふえるほど、政策のひとつひとつが普遍的で、広く共有できるものではなくなっていく。

前にもいったように、時代は、新しい幕を開けている。これまでのような合意形成が難しい時代を政治は迎えたのだ。つまりは、これまでのような政党政治の力の限界がきているのだ。それを越える発想と着眼、それに基づく挑戦がなければ、いつまでも不安定な政治情勢が世界のいたるところで続く。

おまえが悪い、あいつが悪いといった揚げ足とりや新提案もない批判の応酬やこれまでの常識の枠組から出られない陳腐な発想やシステムを新しいことのように語る無知さでは、政治への信頼や政治家への尊敬など生まれてはこない。

この国は、ほんとに、若いやつらから見向きもされない、おっさんしか政治をやっていない。おっさんというのは、おっさんとうい精神性のことだ。世はスマートを目指す時代。
 
スマート=かしこさは、品格や品位と共にある。