秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

会津ファン福島ファン

現在のMOVEメンバーでじかに聞いた人や記憶している人は少ない。
 
震災後まもなく、福島、とりわけ、いわきに重点を置いて活動をスタートした頃から、オレは次は会津だ…と言い続けていた。

いわきの海岸線の被災が強い印象を残した同じころ、双葉町大熊町の避難住民に施設を提供していたのが会津若松市だった。仲間の弁護士のKさんが会津若松に知り合いがいるということで、その縁をたどって、生活物資、とりわけストッキングや化粧品の試供品、買い物バックやタオル、歯磨き道具、童話、おもちゃなどを届けにいった。

震災から一ヵ月が経ち、食を中心とした救援物資が余り初めていた。次に必要なものはそうしたものだろうと推測し、実際、お届けすると、「そうなんですよ。こういうものが欲しかったんです…」と双葉の行政の方に言われたのを覚えている。

観光をやる時間も気持ちなどなく、次の訪問先に決めていた、避難所になっていた、郡山のビッグバレット、須賀川の決壊した河の被災の視察に向おうとすると、せっかく桜の頃に来たのだからと、鶴ヶ城そばの飲食店で昼を御馳走になった。
 
そこに観光客らしい人の姿はなく、修学旅行は軒並みキャンセル…という話を聞いた。会津に観光にきたことなどなく、来訪したのも初めてのことだった。だが、それを聞いて、これはやばいことになる…と直感した。

農産物、その中でもとりわけ米が会津は知られている。さらに、酒。諸々の伝統工芸品はあるにせよ、広く知られているわけではない。観光に来る人あっての消費。そのおおもとの息の根を止められては、会津の地域経済はとんでもないことになるだろう…そう思った。

次に物資をお届けしたときは宿泊した小さな旅館の女将から「米が底をつきそうだ…」という話を聞いた。突然、住民が増えたためだ。山菜の時期だが、放射能汚染が心配で客に出せないとも。

昨年の福島東北まつりの準備で久々に会津若松市へ向かった。すでに「八重の桜」の告知活動がさかんに行われたいた。タクシーの運転手さんにきくと、それでも客の戻りは3割…と聞いた。まだ、7割が回復できていない。とくに修学旅行だ。

この間、セミナーの打ち合わせで会津にいくと、今年の桜の時期以後、これまでにないバスツアーの予約や来訪予約が入っているという。大河ドラマ効果だ。その受け入れ体制の整備で会津の人たちは、いま忙殺されている。

「せっかく来てもらたのに、なんだ…という悪印象を残したくないんです。来てよかった…そう思って帰ってもらわなくてはいけないと思ってます」。八重の桜プロジェクト対策室のIさんも会津地域連携センターのINさんも異口同音にそういった。

会津地域といっても広い。ここも決して一枚岩ではないだろう。だが、なんとか一丸となって、今回の大河を地元に生かそうとする切実な思いが伝わってきた。それと同時に、そのあとの大切さもよくわかっている。

ただ来てもらえればいいのではない。ただ、応援してもらい、がんばってと声をかけられればいいのでもない。本当の意味で、会津ファンをつくらなければ、また、震災前からあった地方の苦難と風評という苦難の両方を引き受け続けなくてはいけない。

それはひとり会津だけのことではない。まさに、福島全県の姿とこれからの生き方を示している。オレがこよなく、いわきを愛し、その気持ちが会津へ向かわせ、福島全県へと目を向けさせてくれたように…