秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

まだ、ミッションがある

痛みをひきうける…。悲しみをひきうける…。
いろいろな人の いまを生きる人の いまを生きられない人の かつてのいまを生きた人の思いをひきうける…
いろいろな人の いまの願いを いろいろな人の これからの夢を いろいろな人の
これからの生き方を なにがしかのかたちで、ひきうける…

人はいろいろなことに出会う。ときには、予測できて、だが、それを予測したくないときもあるだろう。みつめたくないときもあるだろう。また、ときには、まったく思いもつかないで、それと出会うことがあるかもしれない。よいと思えることもあれば、よくないと思えることも…

10年前、ICUに運ばれたとき、自分の一生はこれで終る…と覚悟した。現実に、オレの知らないところで、担当の医師は身近な何人かに、最悪のときを覚悟するように伝えていた。

かみさんは、病院のトイレであふれる涙がとめられなかった…。けれど、病室では涙ひとつ、その気配すらみせなかった。友人のひとりは、もう会えないと覚悟して、忙しい時間を押して、ICUに来た。
 
オレは、ただただ、息子の手が握りたい…最後に、それだけはしておきたい…。そう思っていた。呼吸器をつけられ、モルヒネがなくては激痛が襲う動けない体で、オレは、家を捨てたオレを憎んでいた息子の手を強く握った。それで伝えられる精一杯を伝えたい…そう思った。オレがいなくなったあと、そのときのオヤジの手の感触を覚えていてほしかった。

自分ひとりではなにひとつできず、初対面の医師たちに自分のいのちのすべてを預けるしかない…。いままで、自分は何でもひとりでやれるはずだ…そう思っていた…と気づかされた。オレの知らないところで、オレを支え、涙し、汗し、オレの夢につきあってくれている人たちがいて、そして、オレはそこにいた。
 
言葉ではなく、心の芯までそれが届いた。

人は自分が思うほどに、自分の人生を生き切ることはできなのかもしれない…オレがつくりたかった映画、オレが上演したかった芝居、オレが書き残したかった小説たち…それも未完で終わる。
だが、それが人生というものかもしれない…そう覚悟しよう。
 
そう思ったとき、若い担当の医師がいった。「食べなくては、息子さんとまた会うことも、話すこともできなくなりますよ。それでいいんですか?」。
 
息子に会う。息子に話すことがまだある…。それは、オレが人に伝えておくことがまだあるんじゃないのか…という声に変わった。かっこよく終りにするんじゃなくて、オレにはやらなければいけないことがまだある。
 
味のしない八分粥をスプーンですくって、無理やり口に押し込んだ。いやがる喉に押し込み続けた。そして、決めたのだ。

痛みをひきうける…。悲しみをひきうける…。
いろいろな人の いまを生きる人の いまを生きられない人の かつてのいまを生きた人の思いをひきうける…
いろいろな人の いまの願いを いろいろな人の これからの夢を いろいろな人のこれからの生き方を なにがしかのかたちでひきうける…
 
残された時間がもしれあれば、そうあろう。これまでそうした作品をつくっていた。だが、自分の人生そのものをそう過ごしてはいなかった。すべてを変えよう。これまでのいろいろなものを捨てて、自分が納得し、使命と感じ、そして、だれかの、なにかのためになることだけに自分のいのちを使おう…

人にはそれぞれに人の役割がある。また、定めや分もある。だが、あきらめてはいけない。どんなにみっともなくても、つらくても、最後まで生き抜く努力を惜しんではいけない。まだ、ミッションがある。