秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あのときの時間

仕事の段取りで気がかかりなこともあり、福島復興事業で協働する団体の理事長さんと詰めておかなくてはいけない案件や新たに受けている相談事もあり…
 
といった慌ただしいときに限って、その時間をやり繰りして、やりたいことや会いたい人がいたりする。
 
中学の時、生れて初めてラブレターを書いた。一つ下の女子だった。ひと目ぼれ。小学生の頃から、その後もラブレターをもらったことや告白されることはあったが、自分で書いたのは初めて。どうしてそんな大胆なことができたなのか、いまでもわからないw

校舎の3Fの踊り場で、彼女の友だちとオレの友人の監視付でw 始業時間前にこっそり会っていた。ただ、それだけ。互いの家庭のことや住んでる場所、好きなことやもの…そんなたわいもない話をしていただけだ。彼女の父親が六大学のひとつ、法政大学法学部出身と知って、少し慌てたw うちのおやじの学歴は完全に負けていたw

デートに誘うこともできなければ、放課後、二人で帰るという約束も言い出せなかった。いまの中学生なら、それくらいのことはやってしまうだろう。当時、超堅物だったオレは、そこまで頭が回らなかった。また、それができないのが当たり前の時代だった。

仲間が彼女のことをクラスでしゃべってしまい、彼女がなにかオレに伝えたいことがあって、友だちをつかい、教室から呼び出そうとしたり、偶然、教室の前を通りかかったりすると、気勢を上げて、冷やかした。
 
昨夜思い出した。
 
まだ13歳かそこらの思春期だ。当然ながら、恥ずかしくて、彼女はそれが苦痛だといった。同時に数回会った頃から、オレのあまりの堅物さに彼女が引いているな…とも感じていた。どちらから言い出したかは忘れた。じゃ、もう会わない方がいいね…互いに忘れているが、たぶん、そんな手紙をやりとりして、会わなくなったような気がする。
偶然、高校も一緒になった。だが、オレは彼女と会わなくなって、別の女子にも恋をし、彼女も別の男子と付き合い。古びた校舎の3Fの踊り場の時間は、幼い頃のたわいもないが、なつかしい時間に変わっていった。
 
昨夜、その彼女と中学のそのとき以来、すぐそばで話をした。「あのときとは別人みたい」。オレの当時のくそまじめさを覚えていたw そして…正面からオレの顔をまじまじとのぞきこむと、「この辺にまだ残ってる。ちゃらいふりしてるだけ。ほんとのヒデシマさんは、まだ、ここにいる…」。
 
記憶のあいまいさはある。だが、あのときの話をすると、オレが覚えている記憶に残るいつくかを同じように、よく覚えてくれている。そして、不思議なことに、どうしてか、いまでもオレの中にある、オレのなにかがわかってる…

仲間が席を立ち、帰ろうとする間際、メールアドレスを聞きながら、二人だけ席に残った。飲み会に遅れて参加し、いた時間はわずか1時間半。二人だけで話したのは数分。だが、その数分だけは、あのときの時間だった。

たぶん、あのときのように、自分から言い出して、そうした時間をもつことの苦手な者同士なのだ。なにかに身をまかせ、偶然に支配され、あるいは、相手の積極性がなければ、踏み出せない人間同士。時間は経っても、彼女が指摘したように、そうした本質は変わっていない
のかもしれない。