秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

それはひとつも変わっていない

どうもいけない。中学時代、好きだった女子に会ってから、中学や高校時代のことが、度々頭をよぎるようになっているw
「中学、高校時代の友人が生涯の友となる」「中学、高校時代がその人の生涯の基礎をつくる」…。

中学や高校時代、大人たちからこんなことをいわれたり、偉人のそんな言葉に出会ったことはないだろうか。
 
当時、オレはそんな言葉にいくつか出くわした。だが、そんなことはあるはずはない…と高校に入学した頃までは思っていた。だが、高校を卒業するころになって、ああ、自分はなんといい高校生活を過ごせたのだろうと心から思っていた。
 
そして、東京を生活の拠点とするようになって、日々を重ね、時を駆ける毎日の中で、自分が中高時代に身に付けたもの、ふれたもの、取り組んだこと、願っていたこと…その延長にいまを生きているという強い実感を持つようになった。
 
中学のとき、図書室にある古典や明治大正昭和初期の文学の大半を読み、ドストエフスキートルストイゲーテやヘッセといった外国の古典にふれていなければ、いまのオレはなかった。剣道をやっていなければ、後に学んだ演技論や能楽を深く理解する力もなかった。演出のセンスも磨かれていなかったと思う。

うちの中学が吹奏楽の名門校でなければ、ジャズに行くこともなかったろう。中学の国語の教師に演劇部に誘われていなければ、高校に入って迷わず、演劇部に入ることもなかった。中学の時、フォークバンドを組んでいなかったら、高校でシンガーソングライターをやることもなかった。演劇の発声を人より早く身につけることもできなかった。
 
中学で生徒会をやり、高校で執行部に入っていなかったら、人前でプレゼンや主張をすることも不得手だったろう。人をまとめ、動かすというプロデュース能力や演出能力も身につかなかった。
 
高校時代、演劇部の部長をやっていなかったら劇団を主宰もできなかったろう。文化祭の実行委員長をやっていなければ、イベントのプロデュースや演出もできていなかったもしれない。学生運動にふれていなければ、政治や経済、文化について人と互角に議論する力もついていなかったかもしれない。

高校時代から浪人時代、福岡スポーツセンターのハタ興行の映画館でアメリカンニューシネマやATG作品を観ていなかったら、映画の世界にかかわる仕事をしていなかったかもしれない。おもしろい英語教師に会っていなければ、英文科にもいっていなかった。
 
そうした因子がなければ、大学であれほど本も読まなかったし、映画もみなかったし、劇団をつくらなかっただろう。就職もせず、芝居を続けることもなかった。そして、映像制作会社でサラリーマン生活をこなすこともできなかったし、いま、こうした生活を過ごしてもいなかったと思う。

もちろん、そうした因子の基本は親がくれたものだ。しかし、それより大きいのは、人との出会いだった。作品や作家との出会いだった。そして、そのときどきの「いま」だった。それも、うまくいく、「いま」ではなく、うまくいかない、「いま」だった。うまくいっていない「いま」という時代の姿だった。

人は夢を見る。どうしてそうなっていないのだろうと夢を見る。その力が人に力を与える。それだけは実感している。それをさせているのは、すべて中高時代に抱いた、なぜこうではないのか…という耐えざる疑問と問いだった。いや、それはできるはずだという確信だった。

それはいまも一つも変わっていない。