秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

表現者の成長

自主のオフラン編集を大方終えて、半年ぶりに、夜、そう早くない時間に、青山のスパイラルで、英会話の講師のバイトを終えた、絵描きで物書きの卵、MKちゃんと会う。

イギリス、フランスと留学を重ねて学んだ美術の才を生かす場も、発揮する場もなかった。グラフックデザインでもなく、イラストでもなく、美術家としての勉強をしてきた人だから、作家性が強い。だから、生活のためだけに絵を描くことは、たぶん、できなかったのだと思う。

それが、絵画でなく、この数年、小説を目指すようになって、書く時間が欲しく、とりあえずは、絵を商品にして生計を立てようと考え始めている。

とはいっても、MKちゃんの個性が満開の作品ばかりだから、それ自体も至難がある。しかし、「共感覚」をもつ異才(「共感覚」を持つ人には、画家、音楽家、小説家などの天才が多い)で、社会適応の面でちょっと課題を抱えている彼女にすれば、とりあえずは、スキルもそれなりにある絵の世界で仕事をする方が、ストレスもなく、かつ、小説を書く時間も確保できる。

近じか、最近よくある、カフェでの個展もやるし、ポストカードとして原画を提供する話もある。某大手出版社の担当者にイラスト画として採用してもらえないか見てもらうことにもなっているらしい。

その作品集をオレに見せたかった。数点は送られてきたメールで見ている。

どれが好き?と、問われて、透明感のある、細い線の女性の裸婦像と、黒の背景に沈みそうになりながら、光を浴びて、浮き上がる豊満で、肉感的な裸婦像の二つがいいと答える。その2点だけが、MKちゃんのイタサが、むき出しになっていなかったから。

表現者として、いろいろなものを捨てて、作家になろうとしている、その姿は、いつも変らない。そのひたむきさは、20歳以上も年上のオレでも学ぶところがある。が、しかし。作家として自立するには、MKちゃんの中にある、個性ともいえる、むき出しのイタサが、もっと昇華されなければ、難しいだろうと思っているし、1年半前に知り合ったときも、そう言ってきた。

それが、半年会わない間に、家庭のことやら、プライベートのことでいろいろあり、前々からオレが、それが、実は、作家としての彼女の課題でもあるから、逃げないで、ぶつかれといっていたことに、やっと正面から向き合ったらしい。その結果、以前よりも心に落ち着きが出たという。やっぱり。

これからの半年から一年の間に、作家的な生計の立て方ができるようにと努力しよう。すぐに成果や結果を求めなくても、時間をかけて、表現者としての道を歩もうと、心にゆとりが生まれてきている。

ある個人的な事情で、イタサを抱えている彼女は、自分の作家としての才能に自信が持てない。持てないが、そこで自信の持てる仕事をやり遂げなくては、次へいけないとわかっている。

だが、「私が表現者として生き続けられるからどうかもわからない。昔、絵を描いていましたとか、俳優をやっていましたとか、バーでシェイクをふりながら、昔話を語るようになっているかもしれないでしょ?」。

そういう彼女に、「お前の場合、それはない」というと、「そんなイタコみないなこといわれたって、わかんない」。と詰め寄られる。「どうして、私はそうならないって、秀嶋さんは断言できちゃうの?」

「いいかい。職業作家というのは、厳密にいえば、表現者じゃない。相手の都合で、こういう作品を書いてくれ、こういう映画をやるから、俳優は誰と誰でやってくれ。そんなふうに、作家の意志ではなく、マーケットの意志であらかじめ決められた枠の中で表現という行為をするのは、それはそれで才能だが、それは表現者とはいわない」。

MKちゃん、「ふむふむ…」。

「作家、表現者というのは、自分の意志と思いをキャンパスや原稿や画面にぶつける人のことだ。もちろん、マスターベーションではいけないが、いくら表現は稚拙でも、人の心を動かすものがそこにあれば、人は、それを受け入れてくれる。ときには、受け入れられず、罵詈雑言を浴びることもあるかもしれない。そこで、自分の表現は何が足りなかったかと内省し、自覚したり、いやいや、そうではない、オレの表現は、これしないと貫き通す。が、しかし、それでも、表現を止めない人、止められない人、それが表現者だろう。相手の都合、マーケットの都合で表現の場がなくなっても、なにがしかの表現の場を確保しようとする。だから、表現者は、途中でリタイアしたりしない」。

MKちゃん、「ふむふむ…」。

「だから、お前は、バーでシェイクはふらない。昔は、私もね…。と言う奴らは、自ら表現の場を確保しよう、生み出そうとはしてなくて、いつもだれかからチャンスをもらうことだけを期待してきた、職業表現者であって、本当の意味の表現者じゃないから、仕事がなくなれば、その世界で生きられなくなるだけなのさ。仕事を自らつくり出していないから。そんな奴は、表現の場に次々に出てくる。いい歳になってしまえば、お払い箱になるだけだろ。だが、お前は、そうじゃないだろ。現実に、いま食えなくでも続けているし、超有名人になることが目標でもない。ただ、きちんと作品を残し、その対価として普通の生活ができれば、それだけでいいいんじゃないのか?」。

なんてことを語りながら、一時間半も話し込んで、腹が減って、ハマが顔を出すと連絡をもらったいた、青山村へ。MKちゃん、かれこれ一年ぶり。アートのことやら、男女のことやら、あれこれ話すうちに、深夜。ちょい元気のなさそうなハマにはわるかったが、オレとMKちゃんの会話が止まらない。

「前会ったときから、半年も経っているのに、まだ、彼女いないの?」と、突っ込むMちゃん、「怪しい男女関係を生きているお前にいわれたくない。それは、オレの勝手だろ。×2の男は、異性と交際することに、実は臆病なんだ」。といっても、MKちゃんにいわせると、そうではないらしい。

MKちゃんの話を総合すると、オレという男は、女性にオレと付き合う根性を要求するタイプらしい。

要約すると、こういうことになる。

「フェロモン、あちこち、ふりまいている癖に、女性には根性を求める。つまりは、女に覚悟がないと付き合えない男なのよ」。うむむ。確かに。

なんて調子で、話し続けるオレたちの会話が、ハマにもYouにも超おもしろいらしく。横で、クスクス、ゲタゲタ。

結局、二人で漫才をやってるみたいになったが、それは会えばいつものこと。超天然のMKちゃんだから、そうなる。が、しかし、最初に会ったときに比べたら、いろいろな自分の眼の前の壁を取り除き、少しずつだが、前へ進もうとしていると思う。その様子が見えて、よかった。

彼女には作家としての気質があるし、才能があると思う。文章などは、まだまだ稚拙だが、彼女の人生で大きな課題となっている問題を、いつかきちんと作品にできれば、それに共感してくる同年代や若い世代の読者が生まれるような気がしている。

それができるようになるのに、後一年? 「今度は一年後ね」。そういって別れた彼女を見送りながら、次、会うときは、どんなふうに自分の壁と向き合い、昇華しているかを期待する。