秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島ツアー

今週6日に会津に行き、会津大学会津若松市役所と回り、地元NPO法人会津地域連携センターのI理事長さんとも面談できれば…というよくばりな日程を組んだ。
 
仲間のAくんが地元のIT企業社長とも連絡をとってくれ、面談となれば、それなりに時間が足りなくなる。オレひとり、急きょ、会津に宿泊することも頭に入れている。

10日までに自主作品の短編映画の台本があがれば、その週後半近く、いわきに行くことも考えている。いわきに行けば、当然、なんとなく忘年会気分になる。都合がつく、いわき在住の仲間がいれば、一杯やりたいところだw もう、いわきに関しては、行くというより、帰るに近くなっているw 会いたい仲間や知人がおり、行きたい店がいくつもあるw
 
そして、翌週の月曜17日は福島市へ。こちらは、市役所へのあいさつも入れて、日帰りでなんとかなる。新幹線があるというのは、やはり強いw

不謹慎な言い方だが、震災がなければ、これほど福島の人たちと知り合うことはなかった。それも最初にいわきの海岸線に行っていなければ、こういう次第にもなっていなかったろう。そのことは、本当にありがたいと思っている。

大学の学生時代、バイトに追われながら芝居をやる生活の中で、出会った女性がいた。青山学院の英文科に3年までいて、中退し、また1年から始めた人だ。須賀川の女性だった。うちの学部には、えっ? そんな大学にいってたのにやめて? というそういう苦学生が当時は、多かった。
英文科にいたオレは、かつて英文科にいたその女性と話があった。そして、恋をし、ほぼ5年の間、交際した。オレがタイプ打ちができ、ワープロが登場したとき、難なくこなせたのは、卒論のとき、彼女が使っていた英文タイプライターをずいぶん使わせてもらったからだ。

だが、その期間、オレは一度も福島、彼女の出身地である須賀川を訪ねたことはない。彼女の弟妹とは上京してきた折り、何度かメシを食ったりしたが、それ以上、彼女の親族、家族とつながりを持つことはなかった。逆に、うちのおふくろが上京すると、彼女はおふくろに毎回のように会っていた。おふくろが会いたがったのだ。

彼女がいてくれなければ、オレは生活できていなかったかもしれない…と思うくらい、いつも彼女のアパートでメシを食べさせてもらっていた。そのことをおふくろは感謝してたのだろう。また、彼女がいなければ、喰えない劇団を主宰し、あそこまで芝居を続けることもできなかったと思う。つまりは、いまのオレはいなかったかもしれない。

オレは×2だが、彼女との生活を入れれば、実質、×3だと思っている。

震災と原発事故のとき、それを思い出さなかったわけではない。須賀川では8名の方が亡くなっている。最初にいわきにいった帰り、もう連絡先もわからないのに、須賀川の被災現場にいったのは、そうした思いもあった。

ふと、いまのオレの活動を知ったら、彼女は何というだろう…と思うことがある。しかも、これほど福島に行っているオレを見て、どう思うだろう。福島のどこかへ向かうとき、そう思うことがある。

誤解がないようにいっておくが、個人的な経験といま自分が取り組んでいることを一緒にはしていない。学生時代の記憶とは別に、オレは最初に出会った、いわきといわきの人たちが心地よかったのだ。

師走。楽しい福島ツアーが始まるw