秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

遠くにある

拙速に状況が進むとき、その裏側には、必ず意図したものがある。

特定秘密保護法案は、表向き、アメリカを軸とした軍事防衛に関する情報提供と共有において、現行の国家公務員法自衛隊法では限界があるというのが最大の建前だ。
 
その正当性の担保として、中国、韓国、あるいは北朝鮮とのこれまでにない緊張状態を挙げている。そして、保守的で反動的な国民の多数が、歪なナショナリズム、戦前のそれによって後押しもしている。
 
彼らの中国人、韓国・朝鮮人に対する、低俗で、知性のない、ヘイトスピーチは、明治以後、戦前、戦中のそれとまったく同じだ。もちろん、これは逆にもいえる。

だが、ことほど左様に、状況として、テロ防止や近隣諸国、とりわけ、軍事大国化している中国への圧力として、機密情報保持の必要性を唱える。
 
おそらくは、国民の中から、これだけの不安と危惧の声が挙がるとは思っていなかっただろう。いまなら、このタイミングなら、多くの国民が仮想敵中国、仮想敵韓国、仮想敵北朝鮮に煽られ、合意する。そう考えていた。それほどに、中国、及び隣国への差別と否定、偏見が蔓延していると読んでいたのだ。
 
一方、これに反対する市民グループという名のセクトや野党系市民団体、それ以外のかつての戦争を体験している世代など、識者や表現者、マスコミは、果たして、国家における機密というものが、どこまで必要で、どこからは必要ではないのか、あってはならなのかの線引きが明確ではない。
 
一切ダメという論点だと、それでは、この法案の表向きの建前に拮抗することができない。

つまり、この法制をつくりたがっている側もこれに反対している側も、まだ、その内実について、じつは、まったく議論をしていないし、互いのイメージの摺合せもしていない。正確にいえば、できないといった方がいい。簡単にいえば、だれもその内容がわかっていないのだ。
 
問題はそこにある。それほどまでにイメージがつくる側、反対する側にも想像されていないものが、法律としてつくられようとする。
 
背後にあるのは当然、中央官僚のトップ集団=アメリカ主義が現状の日本の進む道として、もっとも妥当だと考え、現実に調整交渉業務能力のある集団。簡単にいえば、他の国との交渉は苦手だが、アメリカだと楽と考えているし、実際、アメリカのいう通りにしていれば、骨を折らなく済むことを知っている集団だ。

はっきりいって、中央官僚のトップ集団は、この国の政治家や政治に何も期待していない。それは自民であろうが、民主であろうが、公明であろうが同じ。アメリカの属国といわれようが、まだアメリカの政治制度や政治家の方がまともだと考えている。そして、現実にその通りなのだ。

アメリカ政府にとってこれが必要なのは、いうまでもなく、CIA NSAの職員だった、スノーデンが政府の基本的人権憲法も無視した、個人情報収集の現実を暴露したかっらだ。

そのために、欧州同盟国の首相さえもが盗聴されている現実が暴かれしまった。
それは、情報における安全保障がいま世界における多国間交渉において最大の優先事項であることを考えれば、アメリカがその引締めにやっきになるのは当然。

進まない辺野古への移転問題にせよ、増大する国民感情として、脱原発にせよ。そこには、情報の拡散が有効に働き始めたからだ。日本政府が、沖縄の基地問題の情報にせよ、オスプレーの事故調査情報にせよ、原発事故の現状情報にせよ、情報統制やコントロールができていない。と、アメリカは考える。

アメリカにとって、いままと同じに沖縄を使い、いままで同じように原発を継続する、いい子、日本でいてもらわないと困るのだ。
 
でいながら、自国において、機密情報を題材とした映画や反政府をいう表現があっても、ある幅で寛容だ。なぜか。それは当然、自国民の発展には、対立し、拮抗するものもないと成長がないことを知っているからだ。ブレながら、軸をみつける。その民主主義の基本を守っている。

だが、アジアの黄色人種には、それは必要ない。だって、政治家も政府も、そもそもの民主主義も脆弱だと知っている。その志向は、この国の自分たちは優秀だと確信している中央官僚に共感を与える。

じつは、この法律の裏側で、政府の新エネルギー政策が明らかに原発推進に舵をいきった。意図しているのは、明らか。福島公聴会の翌日に強行採決する。マスコミで、この法律と原発の問題が深いつながりがあることを訴えているところはどこにもない。
 
いまやこの国の民主主義の底割れが起きている。
 
だが、その程度の国でいいのさ。俺らにまかせとけ、愚民よ。と、あやつられながら、それに気づかず、見えない法律をつくる側も反対する側も、この国の安全のために、未来のためにと、本質からはずれた喧嘩を、したり顔でやっている。
 
生活の困難という現実、それを越えても明日への道を…そう生きる人の思いと政治が、国が遠くにある。