秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

サンドイッチの悲哀

定期的にいっている青山一丁目のクリニックで、「しばらく、野菜中心にして、大豆を食べて、炭水化物は控えてみては…」といわれてから、意図して、米はやめ、食べてもコンビニのサンドくらいで、主食はえだ豆や野菜ものにしている。
 
このところの忙しさもあるが、ゆっくりご飯を食べる暇もなく、近くのサブウェイのサンドをこのところ、ランチ代わりにしている。
 
店にいくと、店員の動きや対応の仕方が気になる。正確には、気にさせられる。
 
飲食の店で、自分のところが接客業なのだということを忘れている店が年々増えているような気がする。店の側に接客の意識が希薄で、自分たちは飲食業なのだ…としか思っていない店が増えているのだ。店の言い分や店の考えが先で、客の側から物を見ようとしない、考えない。自分たちの生業の本質をはき違えている店が多い。
 
つまり、客が店に合わせることを要求してくる。対価をいただきながら、客に合わせることを要求して、恥としない。
 
長いこと、あちこちの店で飲み食いをし、高級なレストランから下世話な店まで通った経験が増えると、どうしても、そうしたことが気になる。
 
家族経営の店で、常連の客が中心の、それほど値段の張らない、こじんまりした店や店主の人柄や客の質で勝負しているような店なら、どこか親しさや馴染みの深さが出てしまうのは、ある意味仕方がない。ふと接客業という肩の張った関係はない方がいい場合もあるだろう。
 
だが、ほどほどの値段をとり、常連ばかりでなく、接待や仕事の打ち合わせなどで使われる店は、馴染みだから、親しいから…と、自分たちが接客業なのだということを忘れるようなことはしてはいけない。店に人を招いた人の立場や招かれた人の印象を大事にしない店は、大方、すたれる。すたれないとしても、売上を大きき伸ばすことなどできはしない。
 
今日もランチの時間を過ぎて、どうしたものかと考えていたら、また、クリニックの医者の言葉が気になり、サブウェイで野菜をトッピングしようと入った。
 
ところが…。
 
サブウェイはご存じのとおり、ラインに沿って客の注文を聞きながら作業をしていく。店員の質問の順番があって、まず、注文とパンの種類、トーストするかしないか、次にトッピング、ハム、エビなどほかの食材を入れるか否か、そして、野菜のトッピング、そしてソース、最後に飲み物やサイドメニューの確認。
 
トッピングは? と聞かれ、野菜のレタスとトマトと答えると、いや、それは次ですから、トッピングは何に?と、二度も繰り返した。「あのさ。トッピングしたいものをいってるのだ。そちらの手順通りに答えなくても、野菜をといっているのだから、そこへ飛べばいいじゃないか」と、心で思いつつ、店員が手順でしか動けない人だとわかり、「トッピングはいらない」と答えると、やっと、では野菜は?…笑い話だが、笑い話にならない。
 
彼はなぜ、そこまでマニュアルの手順に執拗にこだわるのだろう。

だが、その店員は、ここを通過しないと次にいかれては困るという風情で、しかも、それに合わせろといった態度なのだ。まったく、客に合わせようとしない。
 
おそらく、この人は日頃からこういうふうに、手順にこだわり、かつ、自分のペースや考えに人を合わせようとする人なのだろう。けっして、憮然としていたわけではないが、レジまでいくと店長らしい柔和な男性が、「お待たせしてすみません」と、どこか言葉以上の詫びを感じる口調で声をかけてきた。

ちょっとした飲食店での気の利かない対応の話のようだが、じつは、オレたちの生活の中に、こうしたことが多い。時の経過とともに明らかに増えている。自分の考えやペースに人が合わせるのは当然…。心の根っこにそれを持っている人は、じつは、いま増えている。どうして、そうした人が増えているのか。そこにはいろいろな原因がある。
 
だが、そんな心根の人が増えて、いい人との関係が築けるわけもなく、また、信頼や信用をえられるはずもない。わかったような、知ったような言葉は吐けても、人の心に届く接客はできない。それは、とりもなおさず、人同士が結びつく力を弱くしている。