秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

現象を見抜く力

今日は高校の東京同窓会で一日とられる。ということで、久々朝の更新。

人は、いま出現している現象にとらわれる。多くの人は、いまある現象がどうして起きているのか、なぜ、こうした状態に自分もしくは周囲が置かれているのかを検証しようとしない。
 
簡単だ。面倒だからだ。忙しいからだ。
 
眼の前に現れたものだけにとりあえず、判断、対処をしておけば、ほかにやらなくてはいけないことにすぐに向える。たとえば、面倒な客には、はいはい、わかりました…とやっておいて、とりあえず、面倒さを放り出しておけば、その客がなぜ不満をいっているおのか時系列にあれこれ考える必要はない。そして、次の客に対応できる。

現象の向こうにあるもを考えようとすると、いつもいうが、人には学習が必要になる。時間が必要になる。さらには、自分の視点だけではなく、複数の視点が必要になる。つまり、すべからく、学習を知恵とする、時間と手間が必要になる。
 
だが、じつは、子どもの頃から家庭教育や学校教育、あるいは地域教育の場で、それをトレーニングする場と機会はたくさんある。そうしたトレーニングがあると、眼の前に現れた現象にだけ、振り回されず、それまでに培った対処能力で、それほど、時間や手間はかけず、現象からその向こうにあるものを見ぬくことはできるのだ。

その能力の高さ、低さで、その人の仕事や生活やネットワークの質と形が決まる。

この国が力を低下させたといわれる。オレもそう思う。それをしているのは、どこかのおバカなリベラリスト(超保守者)がいっているようなお仕着せの教育論やシステムを復活すればいいのではない。
 
大きな問題は、そこから多く人が遠ざかっているからだ。遠ざかっているにもかかわらず、構造とシステムを変えようとせず、事なかれ主義や管理教育を徹底させようとするからだ。

現象を見抜く力は、豊かな視野と視点、固執したひとつの理屈からはるかに自由であることが必要になる。ああせい、こうせいでは生まれないし、現象を変える本質的な力、生きる力も育たない。