秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見果てぬ夢

人というのは、いまという一瞬の結果で、それがよくないものだと、これからもずっとよくないのではないか…と不安になり、落胆したりする。
 
一瞬がいいと、それがずっと続くものだと思い込みたくなる。思い込むから、またうまくいかなときに、深く動揺する。
 
そして、自信を失ったり、明日への希望やこの道を進み続けるという情熱をなくしたりする。だが、ずっと続く不幸はないし、ずっと続く幸せもない。そのとき、そのときの幸不幸に惑わされるのではなく、自分が行くと信じた道をただひたすらに、ひたむきに、進めば、それでいい…。
 
いま、そのメッセージが被災地の人々に共感を呼んでいる。
 
10代の頃からずっと好きだった芝居だ。最初にその作品を観たのは72年のハリウッド映画でだった。イギリス、ロイヤルシェークスピア劇場の名優、ピーター・オトゥールが主役を演じた。
 
その作品が実は舞台が先で、当時、福岡にいても、「野ばら咲く道」の大ヒットで、その名を知っていた歌舞伎俳優の市川染五郎がやっていると知って、どうしてもその舞台が見たいと思っていた。染五郎がブロードウェイで脚光を浴びたのは70年のことだった。
 
上京しても、帝劇の芝居は高くて、とても当時の貧乏学生に観られるチケット代ではなかった。その舞台をやっと観たのは、もう20代の中ごろを過ぎてだった。高校2年のときにじかにその舞台を見たいと思ってから8年が過ぎていた。そして、オレは、その影響もひとつあって、30歳になって東宝演劇に入り、週3日は帝劇の楽屋口から稽古場に通うようになっていた。
 
ラ・マンチャの男」。15歳のときから、オレはこんな思いでいつも芝居に向い、上京してからは、目先の幸不幸に一喜一憂しながら、ときに、落胆し、挫折し…それでも、この歌の歌詞を信じていたような気がする。「見果てぬ夢」。
 
幸四郎がいっていた。「人の生活って、そんなに幸せに満ちたものでしょうか? いろろな苦しみや悲しみに溢れているものではないんでしょうか? あ、よかった。バンザーイ。それが人生ではない。だから、見果てぬ夢なんです。実現しないことの方が多い。それでも、前を向いて進む。だから、人間なんです」
 
 
夢は稔り難く (ゆめはみのりがたく)
敵は数多なりとも (てきはあまたなりとも)
胸に悲しみを秘めて (むねにかなしみをひめて)
我は勇みて行かん (われはいさみてゆかん)
道は極め難く (みちはきわめがたく)
腕は疲れ果つとも (うではつかれはつとも)
遠き星をめざして (とおきほしをめざして)
我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)
これこそは我が宿命 (これこそはわがさだめ)
汚れ果てし この世から(けがれはてし このよから)
正しきを救うために (ただしきをすくうために)
如何に望み薄く 遥かなりとも (いかにのぞみうすくはるかなりとも)
やがて いつの日か光満ちて (やがていつのひかひかりみちて)
永遠の眠りに就く時来らん (とわのねむりにつくとききたらん)
たとえ傷つくとも (たとえきずつくとも)
力ふり絞りて (ちからふりしぼりて)
我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)
あの星の許へ (あのほしのもとへ)