夕日を追いかけて
上京して、大学に入るとすぐにシナリオ研究会に入った。
寺山修二、大橋巨泉、青島幸夫を輩出していた。だが、オレが入った頃は、その栄光は見る影もなく、結局、芝居を始めた。
自由舞台、こだまという、うちの大学では多くの俳優、演出家を生んだ、劇団にも一時所属したが、何かが違うと、結局、自分で劇団を率いることになった。
劇作家つかこうへいの影響を強く受けて、書いた舞台。当時、大人気の高中正義の曲もつかった。
この芝居を観た、ある同級生が、オレの悲しみがみえると評した。
チューリップは、まだ福岡の地元バンドの頃からリアルタイムで聴いていた。高校の先輩、武田鉄也率いる海援隊には馴染めず、音楽性にこだわり、ビートルスを模倣したチューリップがオレのひいきだった。
オレの親不幸は、その頃から始まった。