秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

日常を越える

昨日は夕方から芝居観劇。オレの作品にも出演し、花塾のワークショップにも誘っている赤沼正一主宰の劇団の初公演。

今年、オレも上演を一度は検討していた、銀座みゆき館。いけば、わざわざ、招待席まで用意してくれている。さすがに心得ている。

舞台をみながら、赤沼らしいと思った。奴の人柄が出ている。自分が主宰しながら、脇役に徹している。脚本、演出は、別の人間にまかせ、主宰業に徹したのだろう。舞台も人情芝居。

舞台についてのダメ出しは、また会ったときにでもと、公演が終わってすぐに退散。まだ初日。やっと幕が開いてこれかというときに、オレのダメ出しを聴いて、心を騒がせては悪い。

赤沼のドクドクした芝居が観られるかと期待していっていただけ、肩透かしをくった。舞台が緩い。内容に舞台でなければならない必然性がない。赤沼が生かされていない。ワークショップにきたら、鍛えてやろう(爆!)。

みゆき館は、開館した20年前と違い、舞台管理がいい加減で、システムもメンテナンスされていないから、仕込み作業に手間がかかるようになっていた。それが、ここでの公演をためらった原因。小屋が芝居を愛していない。

しかし、20年前、それなりにいい若手芝居をやっていた名残は、やはり、ある。客席に座って、ふとかってのみゆき館の隆盛や、オレが当時、やっていた東芸劇場の空間を思い出す。

赤沼たちの舞台を観ながら、どうしてか、当時、劇評がよくなかった、マラソンにかけた男たちと、それを支えた女たちを描いた『世情ーすべてのランナーたちのために』という自分の舞台が浮んでいた。劇評がよくなかったのは、日常的リアルな脚本だったから。舞台でなければという必然性が薄くかったからだ。

ひとつの世界にたどりつくためには、いくつかの試行錯誤をやらなくてはならない。それは、脚本家も演出家も、そして俳優も同じだ。だが、挑戦的な試行錯誤でなければ、何かにたどりつくことは難しい。

昔、オレが舞台をやっているときによくいわれたこと。「演劇とは、街に事件を起こすことだ」。日常の生活空間とは違う、異空間の中で、日常の価値を否定し、新たな価値を構築してみせる。つまりは、事件を起こすこと。それが、演劇の使命であり、醍醐味だということ。それを忘れてしまえば、舞台は舞台である必要も、必然性も失う。

それがこのところの舞台では、できていない。この間、演劇評論家大笹吉雄とばったり会った、維新派の舞台は、それを厳然とやり抜いている。2年ほど前、Norikoに連れていかれた『カーニバル』という無名劇団の舞台もそうだった。

だが、それは、演劇に限ったことではない。美術においても、映画においても、それぞれ芸術と名のつく表現ジャンルが、どこかで使命としなくてはいけないことだと思う。

映画芸術で、さりげない日常を淡々と描きながら、実は、それが現実の日常を批評していなければ、ゆるい作品にしかなりえない。小津の映画がすぐれているのは、その批評性を失っていないからだ。

寺山のように異空間とメタファーの詩的世界を描きながら、それを伝える場合においても、私的美学や私的メッセージが、それ自体批評性を持ちえていなければ、ただの独り言。マスターべションに過ぎない。

それができていないから、緩い人情芝居や個人的な世迷いごと、独り言の作品があふれてしまう。それがまた、観客を育てない。結果、制作者も育たないという悪循環になる。

だから、この国には、まともな舞台、まともな映画が希少になる。とどのつまりは、いい本がない、いい本と判別できる制作者がいないということが一番大きな要因。そうした才能は、いまはコミックの世界やゲームの世界にとられてしまっている。

才能が集まらないのは、その世界に輝きがないからだ。人を魅了し、集める情熱と、その情熱を生かす自由さが失われているからなのだ。事件を起こす意志と意欲が奪われているからだ。

それは、現実の日常は越えられないという、いまの時代の閉塞感とどこかでつながかっている。