秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

やさしい記憶

山田太一の小説で「異人たちとの夏」というのがある。市川森一の脚本と大林宣彦監督作品として映画にもなった。初のオールハイビジョンの作品として話題にもなった。その後、椎名桔平主演で舞台にもなっている。
 
プッチーニの歌劇「ジャン二・スキッキ」の中の O mio babbino caro お父様にお願い(日本語訳では、私のお父さん)がその小説のひとつのモチーフになっている。オペラファンではなくても、だれもが一度は耳にしたことのある名曲だ。
 
脚本家として地位と収入を得られるようになった40歳の男が、家庭不和となり、離婚する。仕事への若い頃の意欲のようなものがどこか薄れ、何一つ自分は、人に誇れるような仕事や実績を残していないのではないか…その上、家庭人としてもその責任を全うできなかった…中年から高年へ向かうその過程で、主人公の男はどこかで、自信を失い、生への執着が希薄になっている…まして、長く一緒にドラマをつくってきた演出家が別れた妻と交際している…
 
そんなとき、どうしたことか。仕事の取材の帰りにふと立ち寄った、ふるさと浅草で、男が12歳のときに交通事故で亡くなった両親と出会う…あのときのまま、若く、美しく、元気な父と母…子どものときには聞けなかった両親夫婦の生活の姿や思いにふれながら、男は、少年期から青年期、得られなかった家庭や親の愛の温かさにふれ、度々、その不思議な世界へ足を運ぶ…そして、また、もう異性を深く愛する力などなくなっていると思っていた自分が、同じマンションに住む若く、美しいが、わけありの女性と深い恋に落ちる…
 
興味のある方は小説なり、映画なりを見てもらいたい。折り返しの人生の節目に出会ったのは、この世のものではない。すべてが霊…異人たちだ。
 
オレは丁度、映像の企画制作会社の取締役制作室長をやっていた30代の中ごろにこの小説と出会った。貧しい小劇場演劇を続け、東宝へ入り、東宝の仕事を蹴って、映像の世界に没入して数年が経った頃だった。親に対して親孝行らしいことのひつもできず、しかし、どこかでまだ息子への期待を持ってくれている親へのすまなさ、家庭を振り返っていない自分の愚かさを見せつけられたような気がした。
 
そして、同時に、オレ自身、このままでいいのだろうか…というそれまであった疑問が確かなものになった。親というのは、自分の知らないところで子どもを見てくれている。やはり、オレは自分の進みたい生き方を忘れていた…そんなことに気づかせてくれた作品のひとつだ。
 
オレが高校、大学生の頃だった。テレビドラマやドキュメンタリーを夢中でみていると、ふと、オヤジがオレをいとおしそうにじっとみつめている視線を感じたことがある。
 
この間、3ヵ月ぶりに息子と会い、8ヶ月ぶりに相模大野のリビングで、携帯メールをうっている息子をみていて、ふっと、目が離せなくなった。これまで感じなかったことだ。もう大人のひとりの男としてしてか、みていなかった息子に、幼かった頃の面影がみえて、思わずいとおしくて、みつめそうになったw そうか…オヤジもあのとき、そんなことを感じていたのか…オヤジの記憶がよみがえった。
 
異人たちが訪れる夏のお盆は終わった。親への思い、先祖への思いはそれぞれの家庭、それぞれが育った家庭によって、生活によって違うことだろう。しかし、もし、わずかでも、どこかでも幼かった頃のある記憶が幸せなものだったとするなら、そこにあったのは、生活の豊かさや便利さや貧富の差といったものではなかったはずだ。
 
大切に思えるものが、そのときは大切には思えなかったとしても、記憶の中でいずれ大切なものに変わる…そういう平和で、穏やかで、やさしさに包まれた時間だったはずだ。
 
それを親たちが守っていったように、自分自身もそれを守り、育てていかなくてはいけない。親と同じようにはできないだろう。家庭のためにできることができないかもしれない。だが、自分にできることで、自分がやらなければと思うことで、それができればいいのではないだろうか。
 
平和で、穏やかで、やさしさに包まれた時間を守り、築いていく。そのために、自分の家庭、地域、社会、そして国、世界の中で、自分にできることを懸命にやることでしか、それはやさしい記憶にはなっていかない。