秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

息子のレッスン

編集作業が思いのほか進んでいる。

時間4分程度のものだから、そんなに時間はかからないのはわかっていたが、いろいろとわけあって、丁寧に仕上げておこうというオレの思いもあり、編集時間を多めにとっておいた。

長雨で、体もだるく、かつ運動もできなかったら、日曜の朝、雨が小康状態になっている隙に、久しぶりのジョギングに出る。昨夜は、おもわず、NHKhiの深夜で『攻核機動隊SAC』を見てしまい、寝たのは2時頃だったが、疲れが抜けてきている証拠、朝の目覚めがいい。

久しぶりに外苑の銀杏並木の当たりにくると、学生の行列。コスプレしたグループもおり、何事かと思う。丁度、イタリア料理店セーランの前では、2時間ドラマの撮影らしく市原悦子がスタンバっている。学生の群れはエキストラと勘違いしそうになったが、2時間ドラマでこれほどの学生をエキストラで使える予算などない。で、ああと気づく。WK戦で3塁側ベンチに入ろうとするW大の学生の列だった。

入学して最初のWK戦になる春のシーズンは観戦に来る学生が多い。オレも大学2年の春まではWK戦に仲間や彼女ときていた。さすがに3年にもなると体育会系でなければ顔を出すこともなくなるのだが。

しかし、ラグビーと違って、野球は派手だ。オレたちの頃には学ランの精神高揚会とか弁論部の連中が時代錯誤の角帽姿に下駄履きできてはいたが、最近は、コスプレまで登場している。アキバの波はわがW大にも押し寄せているということか。それでも、野球人気が下火だというのに、この学生の数。たぶん、東京六大学野球は学生とOBに支えられて、人気と伝統を守り続けているのだろう。いまでも国営放送がWK戦は必ず放映するというのも、その現われだ。

W大はダメで、C大法学部に進んだ息子は、得意の美術関係もやりたいらしく絵画研究会に席を置いたたらしい。親のひいき目ではなく、奴は小学生の頃から教師を驚嘆させるようなデザイン感覚、色彩感覚があった。多少美術を知っているオレの眼から見ても、驚くほどだった。中学時代から何度か絵画の方へ進まないかと声をかけたが、当時は、絵画よりやりたいことがあり、親の声に従うこともしなかったが、どうやら、大学進学という進路を考える中で、自分のやりたいこと、できることを模索し、結局、絵をちゃんと勉強してみようと思い立ったらしい。

あれほど高校時代はロックにはまっていた奴が、いまは腕や手のデッサンに励んでいる。美術レッスンの基礎講座をやっているといったところだ。

美術は、デッサンが大事と中学時代、あれほどオレがいったのに、と思いつつ、もしかしたら、あのときのオヤジの声が頭のどこかに残っていたのかとも思っている。それに、あまり会わないオヤジだったが、美術展にはよく連れていった。それも、奴の才能を知っていたからだ。何かのヒントや刺激になってくれればと多くは語らず、モネ、マティスなど印象派絵画やピカソモディリアーニ、ダリ、ニューヨークメトロポリタン美術館現代アート日本画横山大観、デザインの田中一光、オレの好きなレンブランドなど、ジャンルを限定せずに、よく連れていった。

オレと違い、安全な道を石橋を叩いてからでないと渡らない性格だから、法学や政治を勉強するという公務員向きの手堅い勉強を選んだが、やはり、絵はやってみようとしてくれたことは、うれしい。

オレが物書きや舞台、映画の世界へ入っていったのも、オヤジの影響が強い。若い頃はオヤジへの反発もあって、オヤジとは同じ人生は生きないと、それをバネにこの道へ自分の意志で入ったと思うところもあったが、いまは、素直にそう思う。

警察官という仕事で法律関係の書籍も多かったかが、それと同じくらい小説などの読書家で、若い頃は、音楽家志望だったことや洋画好きだったことが、オレにクラッシック音楽、文学、美術、演劇、映画といったものの基本的な知識を与えてくれていた。

たぶん、オヤジが芸術的な職業、人生を歩みたいと思いながら、それができなかったことで、その自分の余韻を子どもに、しかも長男に残したいとどこかで思っていたからではないかと思う。

息子が美術を始めたというだけで、これだけ喜んでいる自分を思うと、オレがこのヤクザな世界に入ったことも、少しは親孝行になっていたのではないかと、今頃になって、確認している

オレは、本当に、息子のおかげで、勉強させられている。レッスンさせられている。