一番誇りに思えるもの
暑い暑いというから、暑いんだ…と、子どもの頃によくオヤジに叱られた。しかし、それではかわいそうと思ったのか、庭に裸で立たされて、ホースの水で行水をさせれた。
「ほら、これで少しは涼しくなっただろう?」。確かに涼しかった。
自分がオヤジになると、息子が公園のぶらさがりロープにつかみきれず、ずるずると落ちて、手の皮がむけると、痛い痛いというから、痛いんだと説教していた。
しかし、やはりかわいそうになって、手を水で洗ってやって、バンドエイドをつけてやると、息子は「痛い痛いといわなくなったら、痛くなくなった」と、けなげに、オヤジのコトバに合わせてくれた。
しかし、やはりかわいそうになって、手を水で洗ってやって、バンドエイドをつけてやると、息子は「痛い痛いといわなくなったら、痛くなくなった」と、けなげに、オヤジのコトバに合わせてくれた。
オヤジというのは、本当に身勝手なものだ。
うちの息子は、本当にいいやつで、オヤジの愚かな思慮の足りない言葉でも、きちんと受け止めようとしてくれてきた。さびしい思いをしても、母親にはいっても、オレにいったことはない。それはたぶん、男の子だったからだろう。
そんな息子が就活の時期になってきて、そろそろオヤジに会わなくては…といっていると母親が伝えてきた。当てにされることほど、親としてうれしいことはない。
そんな息子が就活の時期になってきて、そろそろオヤジに会わなくては…といっていると母親が伝えてきた。当てにされることほど、親としてうれしいことはない。
そんな大人に成長している息子を本当に誇りに思う。あれほどのさびしさを一人っ子の生活で受け止めて成長してきた。それでも道すじを間違えていない。本当に、大した奴だ。
オレがいなくなったとき、この世に遺したもので、オレは一番に誇りの思えるものは、きっと息子しかない。