秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

オヤジの学歴

息子の進学したC大学から、最近、保護者宛の郵便物がやたら届く。

息子が生まれてから、高校まで、相模原の家にすべて学校関係の連絡はいっていた。だから、父親であるオレに確認や連絡が必要なときは、かみさんがその都度、連絡してくれていた。あれこれ学校関係の書類や保護者への連絡などに目を通すこともなかったのだ。

目を通していたのは、研究物や図画・工作・書道の提出資料のできばえや通知表に成績表。それを見ながら、その期の学校生活のあれこれを聞いたり、教師のコメントから息子の集団生活での適応や人からその性格をどう見られているかを、息子と母親を前にして、一つひとつ確認するのが、幼稚園からの絶対の決まり事にしていた。そこをしっかり抑えていれば、日々の息子の様子や考え方の大方のことはわかる。そして、小言や助言を言っても、最後には、よくがんばった!で〆る。それは、オレが、仕事でほとんど帰りの遅い、オヤジにされてきたことだ。

高校までそれでよかったのに、大学は、あえて、父親の住所先に資料を送ってくるらしい。地方出身者の学生ならわかるが、自宅通学なのに、なぜ、あえて、オレのところに送ってくる。そんなに、入学金を払っただけのオレが、そんなにえらいのか? えらいのは、あんなにいい息子に育てた母親の方だろ。

しかしだ。その次々に送られてくる資料を見て、さらに、驚いた。お決まりの寄付金の依頼なら、驚きはしない。驚いたのは、保護者会みたいなものがあって、その親睦交流会の案内がきていたことだ。保護者会向けの情報誌まである。それも複数。パラパラめくると、学生たちの日々の大学生活が、学生たちのコメントで、実に丁寧に述べられている。

ま、「ぼくたち、こんなにがんばってます!」みたいな感じ。いわゆる、親が安心できるような、学生たちが充実した学園生活を楽しんでいる様子が描かれ、学術機関としての活動や社会に出たOB、OGの活躍報告が続くといった調子。別の情報誌は、保護者会でつくられた趣味のサークル情報誌になっている。

私たちの大学は、こんなに安心ですよといわんばかりだ。そして、保護者同士の交流を持ち、大学と一緒になって、子どもたちを応援しましょうよ、といった、まるで少年野球や中学、高校の体育部部活の保護者会のノリ。

そんなに保護者への連絡や親睦に金をかけるなら、大学の図書やデータ資料を増やすとか、サークル維持費や施設費に回せばいい。親は子どもを遠くから見守っていればいいという考えのオレは、つい、そう思ってしまう。

オレは知らないが、オレがW大に入ったときも、こんな資料がオヤジのところにいっていたのだろうか?

かすかに、オヤジがそういう類の資料が送られてきていることを話していた記憶はある。反対するオレの知らないうちに、寄付金をしたという話は覚えている。そのときは、激烈に怒った。が、軽く、無視された。保護者会の集まりの案内が来たが、いかなかった、というような話も聞いたような気もしないではない。

しかし、自分がオヤジの立場になって、こうした資料を目にすると、違和感を覚える。大学生ともなれば、もう大人。親ができることはたかが知れている。たかが知れているというふうになってもらわなくては困る。

大学に進学した子どもを持つ親が親同士で交流するというのも、わからない。親が子どもと同じ大学の出身者で、OGやOBなら、そうした集いに意味がないわけではない。卒業生として、自分が学生生活で得たことやそこでの出会いについて、語れることが多いからだ。しかし、それでも卒業生の親同士の集まりなら、校友会などで十分のはず。

そんなことを考えていたら、ふと、あることに気がついた。

オレのオヤジは、貧乏で尋常小学校卒程度の学歴しかなかった。だから、警察という超学歴社会の中では、ずいぶん苦労した。苦労して、ノンキャリアでは異例の、警視正になっても、学歴との闘いは続いていた。県警本部捜査二課特捜班班長という重要なポストにいながら、大学卒の所轄警察の署長に学歴がないことで揶揄され、妬みから捜査協力してもらえないという苦渋を味わっていた。検察庁へ起訴資料を提出すれば、東大法学部やオレの息子が通うC大法学部などを出て、上級試験に合格した若造から、横柄な態度で、書類を突き返される。こんなこともわからないのか、といった口調で。

そのストレスで胃潰瘍になり、血を吐きながら、決して仕事を休もうとはしなかった。オヤジは、学歴で侮蔑されても、キレなかった。下げたくない、頭を下げ続けた。どんなに辛酸を嘗めさせられても、仕事を貫徹することで、学歴社会と闘おうとしていたのだ。

オヤジは、オレがW大に合格したとき、一人背中を向けて泣いていた。

浪人中に冗談で受けた、福岡市役所に合格していたオレは、家計のことを考えて、合格したから、もういい。勝負には勝った。市役所の職員になるのも悪くないといった。すると、オヤジは、合格しているのに、いかない奴がいるか、とだけいって、オレに背中を向けて、泣いた。オレは、それを見て、実は、心の中で、大学へいってもいいんだとほっとしていた。そして、涙するオヤジの背中に、誓った。オヤジがやれなかった勉強を、オヤジに恥じないようにやろう…。

W大からの寄付金の依頼に応えとき、オレが怒ったのは、親にこれ以上金の心配をさせたくなかったからだ。しかし、オヤジたちは、寄付金をできる親であろうとすることで、オレを支える証にしたかったのだと思う。保護者会の集いの案内をもらいながら、いかなったのは、そこにいけば、W大卒業生も多く、話を合わせられない自分がいることがわかっていたからだ。

しかし、大学からのそうした案内をもらうことが、実は、嬉しかったのだと思う。まるで、自分がその大学に通っているような気持ちを、息子を通して味わっていたのだと思う。

あの素晴らしい愛をもう一度」の書庫に書いているが、子どもには、親のそのときになってみないと気づけない、わからない思いがある。

それを急かさず、待ってくれた親を持てたことを、いまでも誇りに思う。