秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

復興元年というなら

昨夜、白河の食を堪能する会という集りに仲間のAくんの誘いを受けて参加した。あずまっぺで会など、福島県人の若手の集まりを組織するなど、福島のためにできることをと精力的に福島県人の集まりに顔を出すAくんの淡々としながらも、芯にある復興への熱意にはいつも敬服している。

農産の生産や加工業者の方たちも参加していていたし、映像レターでメッセージを会場に届けたハウス栽培の方もいた。また、県の南農林事務所や白河の農産推進にと取り組む地元の代表の方もこられ、さかんに白河の食をアピールされていた。企画を立案し、こうした集いを定期的に実施しているのは、農業体験や農業視察を運営しているNPO法人
 
70名ものにぎやいだ集りで、盛況だったと思う。だが、いくつか心に引っ掛かった。
 
白河の風評被害の現状や白河及びその周辺で収穫される野菜や豚肉、たまご、塩麹、ドレッシング、あるいは地元のこんにゃくなどを使ったオリジナル料理などを食べてもらい、白河の安全・安心な食を知ってもらう。農業体験や農業視察で実際に農家の人々とふれてもらうように集客する…それを東京在住の白河や福島県内の人たちにアピールする。果たして、それは、効果的なのか。広がりをつくりうるものなのか…
 
参加していた方は高齢の方もちらほらいたが、多くは30代以上40代の男性が中心。女性の方たちは明らかに仕事を持っている方が多かったように思う。いわゆる、ディンクス系の方や独身者が多かった。そうした、地域生活者ではない都会単身者にこうした情報を投げることでどのくらい効果があるのだろう…そう思ったのだ。
 
県の事務所もからんでいるし、サポートをNPO法人に任せているのだから、県の予算も使われていると思う。にもかかわらず、アンテナとして、そうした福島県人の集まりだけに情報をリリースし、アピールしている。それでは、内側を向いた行動にしかならない。やるなら、住宅地周辺の生活者がいる場所で、生活者、つまり主婦や家庭を持つ人々が集まる場で、こうしたことはアピールしていかないと消費につながっていかない。まして、驚くことに、紹介された商品が東京では売ってないw
 
NPOの代表の方やスタッフの方たちは、会を盛り上げようと明るく、元気で、ハツラツとしていた。しかし、そうしたハツラツさは、返って人の気持を引かせる。被災地の人や風評被害に遭っている当事者の人がハツラツさを出そうとしている姿やそうした演出をしようとしている姿は、現実の重さが伝わる分だけ、嫌味がない。
 
しかし、支援する側がやたら陽気さを演出するのは、いかがなものか…オレなどは、ひねくれているのか、何かが違う…そう感じてしまうのだ。これでは届かない…そう思う。
 
今日は、午後から自転車を飛ばし、新橋駅のSL広場でやっている、こいちまつりにいってきた。いわき市の観光物産課とまちづくりビュ―ローが共同で店舗を出していて、同志のおのざきが店を出しているので、応援にいった。ビールを飲みながら、社長のOさんとあれこれ話をしていると、東北がんばれの文字が入った、キーホルダーを見せながら、ひとりの男性がエビ棒を買っていってくれた。
 
「東北をずっとまわったんですよ。ほら、見てください、これ。でも、福島はいかなかったんで、せめて、これくらい…そう思って立ち寄りました」。そして、帰り際、店の連中に向けていった。「東北がんばれ!」。
 
オレは言葉がなかった。
 
東北の人たちは、なにかのあいさつのとき、必ず、支援者や支援団体の人々へのお礼を最初に口にする。確かに、どのような形であれ、自分たちが困窮しているときに手を差し伸べてくれた人々への感謝は深いものがあるだろう。
 
しかし、その思いに甘えて、ただ、がんばれ!…はないだろう。被災地でどのようなボランティアに従事したにせよ。そのことは支援する側にとって重要なことではない。がんばれも、心をひとつにも、それほど有効な支援の言葉などではない。そのとき、折々の状況に応じて、どう地域新生、再生、復興にかかわっていけたのか、いけるのか…その中で、地域の人たちと心根において、どうつながっていくのかかが重要なのだ。
 
どうも表層的で、実質のない支援というのが、あちこちにあるような気がしている。結局は、支援している側の自己満足で終わっているものが結構あるのではないか。しかも、そこに県や地域の予算が使われている…
 
復興元年というなら、それにふさわしいビジョンのある方策と取り組みを精査する時期に来ている。