秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

反撃の銃弾

MOVEメンバーの若手Sくんが縁故をつてに橋渡しをしてくれて、福島市役所市政策推進部の課長さんから観光課を紹介してもらう。
 
福島市その周辺は放射能線量が高いことはよく知られている。福島市は農政部と商工観光部が分かれている。県庁所在地のある自治体で、農政部がしっかり設置されているのは、長野市福島市くらいらしい。
 
それだけ、農政における地域の比重、そして、マンパワーが大きいということだ。つまりは、今回の原発事故による放射能汚染の影響と風評によるダメージがいかに大きいかを語っている。農産物の中でも果物は福島市の特産。線量検査で問題のないものが売れないという試練の中にある。

観光課の担当の方は、今回実施しようとしている市民復興祭の企画意図と実施内容を語ると「まさに、リンゴの出足の時期で、渡りに船のご提案でありがたいです」と顔を輝かせてくれた。課長さんの無念そうな言葉や担当者の方の前向きな姿勢の向こう
に、栽培や生産にかかわる人たちが黙々と農地と向き合う、無言の、重い表情が見えてくる…。
 
福島市からバスで会津若松市へ。前日の福島県東京事務所での打ち合わせで県とのやりとりが片付いたこともあり、県庁によらなくて済んだ分、予定より4時間ほど早く到着する。駅前の創業100年の看板に引かれ、マルモ食堂へ。昭和の名残のある店で、会津で有名なソースかつ丼を食べる。うまいのだが、暑さにへたった体にはちょいと重かったw
 
観光課のKさんと事前に電話でアポをとっていたのと、県東京事務所で情報をもらっていたこともあり、事前に見ておける観光地をまわっておこうと急きょ車をレンタルしようとしたら、どこも一杯。仕方なく、駅前のタクシー運転手さんと交渉して、待ち時間はメーターを止めてもらう条件で、飯盛山鶴ヶ城へ。途中、来年の大河ドラマに合わせて図書館を改築して設置される「八重の桜」ドラマ館の予定施設を教えてもらう。
 
昨年の「大いわき祭」に郡上踊りの市民グループに参加してもらった。東京の青山という地名は、もともと幕府家老青山家の屋敷があったことから名づけられている。その所領地が郡上八幡北青山商店街は、これを掘り起し、地域のイベントとして郡上八幡観光協会と連携して、大きな地域の市民祭に育てた。その縁を市民復興祭に生かしたのだ。
 
不勉強だった。実は、会津藩松平容保は、この郡上八幡のある岐阜高須藩の子どもとして生まれ、のちに会津藩主となっているのだ。県東京事務所の所長さんが、概要書にある郡上おどりの写真を見て、「いや…縁があったんですねぇ」と教えてくれた。
 
飯盛山は白虎隊が自刃した場所としてよく知られている。その一角に、戊辰戦争の折、郡上から応援隊として駆けつけた、郡上隊の慰霊碑があった…。不勉強だったとはいえ…やはり、ここにも、何かの力に導かれているのだなという実感があった。
 
実は、これまで白虎隊の自刃のことを評価していなかった。いろいろ迷ったにせよ、自刃する前にやることがあったのではないか。年輪もいかない子どもたちがぎりぎりの選択をした思い、その無念さはわかる。だが、それを美談にして歴史に残すことに素直になれなかった。
 
しかし、今回はじめて、飯盛山に上り、山道からみえる鶴ヶ城と自刃したその場所にいって、わかった。
 
まだ、幼い子どもたちが自刃したことだけが重要なのではない。そこにあった無念さとそこまで追い詰める戦いをした薩長土肥連合軍とその後の会津、そして福島が明治政府から受けた処分と弾圧、差別と冷遇が問題なのだ。
 
会津、福島のその後の悲しみの最初として、白虎隊がある。だからこそ、会津、福島の人々は、白虎隊の悲劇を語り続けた…それは、白虎隊の少年たちがまだ無垢な心のまま、実直に感じた、会津と家族を守る、郷土を守るという心根とそれが踏みにじられることへの無念と義憤だったのではないか…

表だって政府に反論と批判のできない弾圧の中、会津人が、福島人がその反骨を白虎隊の悲劇にこめた、政府への反撃の銃弾だったのだ。
 
写真をとったがすべて削除した。ここは霊場。やはり、いろいろなものが写っていた。
そこにも、いまに続く、無念の思いがある…そして、こうした場所にくるとそれを感じてしまう、オレがいる。