秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

地域への愛

被災地の現実…それは一応ではないということをずっといい続けている。そして、時間とともに、その現実も複雑化している。そしてまた、そうした地域を支援している人や団体も、時間の中で様々な形に姿を変え、あるいは、消えていっている。
 
昨日、スポンサー集めで実績のある、MOVEメンバーの経済ジャーナリストのNさんと小一時間、水天宮のロイヤルパークホテルのラウンジで打ち合わせをした。
 
これまで折々に会社のメールに情報を届けていたのだが、いまはほとんど会社ではなく、個人事務所で作業をやっているって…道理で連絡がつかなかったはずだw
 
なにせ、フットワークの軽い方で、昨年、久ノ浜の花火大会のために、1000万円近い寄付金を集めたかと思うと、「大いわき祭」のときには、南相馬浪江町などの支援活動をスタートさせていた。毎週のように現地に行き、時には一週間以上をそこで過ごすという関わり方をしている。一時、本当に連絡がとれなかったときがあった。
 
どういう思い、どういう出会いの中で、こうした活動を続けているのか…それについて詳細に語り合ったことはない。だが、被災地で知りえた、マスコミにない情報。そこに生きる人たちのふとした会話の中に浮かびあがる、切実な思い…それらを現場で聴き、知り、ときに共に泣くことしかできず、ときに共に笑うことしかできなった者同士の言葉にしてなくても、通じる思いがある。

国政をあげて取り組まなくていけない、たくさんの課題がありながら、それができていない現実。地域行政こそやらなくてはいけない、個々への丁寧な対応に手が回っていない現実。そして、地域の有力なポジションにいる人々が変えなくてはいけない根本的な発想の転換が全くない現状…。それらが、
相変わらず大手資本頼り、国政頼りの地域の依存体質をそのままにしている。
 
Nさんのように、生活者の痛みを感じながら、しかし、それは、被災地域だけの問題ではなく、この国すべての人々、地域の課題であることだという国家観、世界観を持ち、決して風化しない、あるひとつの思いだけで被災地域に関わっている人たちがいる。Nさんが政治のていたらくに、つい激昂するのは現場を知るからこそなのだ。

そうした人々とそうした人々がかかわっている地域の人々には、どこか深く思いがつながっている…と思う。それは、オレ自身がMOVEの活動で出会ったいわきの人々に感じていることだ。そのつながりの糸をどこかひとつにまとめたい。ワンストップで、小さな思いを連鎖し、大きな思いの形にして示したい…
 
それは、しかし、単にボランティア活動という枠組みを越えなくてはできない。社会運動、社会改革運動…そして、震災後初の世界へ向けた市民運動のひとつにしようという枠組みまで視野を広げなくては見えてこないものだと思っている。
 
極右的発言と行動で、ときに周囲に物議をかもしてる、S新聞のHがいった。「Hは、最近、秀嶋さんに近づいているようだが、主義主張を変えたのか…ってよく聞かれるんですよ」。
 
オレは答えた。「右といっても、自分の利益ばかりに頭をめぐらし、大衆を謀る奸閥がいるだろ。左といっても現実感のない正義をふりまわし、アホな民主主義を連呼する奸閥がいる。中間のふりをして、利権をむさぼっている奴もいる。いずれも国、国民、生活者の痛みなど考えてはいない。どの奸閥にも組せず、自由であるために闘う者こそ、本当なんじゃないのかい。北一輝を読めばわかる。2.26を見ればわかる。三島を読めば理解できる。そここそが、市民軍なんだ。そこに右も左も中間もない。あるのは、自分はおいて、日本国の真の独立と国民生活を平和なものにしたい…その思いだけだ」
 
それは言い直せば、地域の自立と公民権意識の獲得がなくては、この国の未来はない…ということだ。
 
この家に生まれてきてよかった。この地域に生まれてよかった。この国に生まれてよかった…そういう国にするためには、市民自らがその手で、まずは心の自由を勝ち取るしかない。愛国心は法制度や懲罰でつくられるのではない。それは裏返せば、国を滅ぼす国粋主義民族主義の温床でしかない。
 
市民の自発的意志と決意からしか、真の愛国心など生まれはしない。その根本にあるのは、地域への愛、パトリオティズム