秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

隙間

人の思いはひと色ではない。その場、そのとき、それぞれにおいて、いろいろな顔を持つ。ある人に対して語る言葉が、ある人に語るときには、別の顔、別の色を持つ…ということもある。
 
その隙間に、いろいろな誤解や嫉妬、邪さや打算、見栄、プライドといったようなものもが交錯し、ある断片の情報がひとり歩きしたり、肥大したり、事実を歪めたりする。簡単にいえば、言葉通りに受け取れない、言葉を歪曲して理解する…ということが起きる。
 
物事を歪めて解釈してしまう側にも問題はある。だが、その歪めて解釈していることを批判したり、文句をいう側にも問題がある…と思う。
 
こうしたことが起きてしまうのは、本当は人が回りとうまくやっていきたい、できるだけ波風は立てずに仲良くありたい…と思っているからだ。穏やかさを求めるあまり、人は、ときとして、穏やかさを壊している。
 
人の思いはひと色ではない…そう思えれば、そのひと色ではないことを愛することができる。いや、ひと色でないからこそ、いとおしく思えるのだ。そうすれば、隙間に入りこんでくる裏側の色、表情をすべてだと解釈してしまうこともない。

こうしたことを人との関係に生まないためには、言葉ではない、何かの共感を持つことだ。共感とは、生きる目標であったり、生き方の作法であったり、物事に向う時の所作だったりする。ある共通する目標、作法、所作。とりわけ、作法や所作は、言葉で積み重ねて共感をつくるものではない。
 
いろいろあっても、人が最終的につながりを持てる、共に何事かをやり続ける…という基本には、それが必要なのではないかと思う。そしてまた、そこに必要なのは、強さや堅固さではなく、弱さやもろさを知り、それでも進もういとする、ひたむきさ…といったのものではないだろうか。
 
昨日、最近は恒例になりつつある、昼ミーディングをやった。夜だと、どうしても酒席のことが気になるし、それが続くと家庭を持つ連中は何かと不都合なこともある。MOVEの有志連中の中心にいるメンバーたちの子どもたちがまだ幼いということもある。きっちりした社内業務の人間や勤務体系が崩せない仲間には調整に面倒をかけるし、参加できないケースもままある。
 
しかし、それでも昼間の仕事モードの中で、1時間か1時間半という限られた時間、強くもなく、堅固でもなく、しかし、それでも進もうとする、ひたむきさを、つまりは、同じ作法と所作を持とうと会合を持つことの方に大きな価値が生れているような気がする。
 
結論を先に持たず、それぞれが完璧ではないが、知恵を持ちよろうとする。そこに、人を揺るがす隙間はない。