秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

問い続ける…

今年は何かが大きく変わる。あるいは、これから起こるであろう大きな変化の始まりの始まりの年なのかもしれない…そう感じた人は決して少なくないだろう。

現実に、王政や独裁政権によって国を維持していた北アフリカ諸国では、絶対的王権の力やカリスマ支配の権力が圧倒的で、市民革命など起こるはずはない…という大方の予想を覆して、市民蜂起が起きた。それは中東アジアまで及び、報道こそされなかったが、中国や北朝鮮へと飛び火した。
 
これはいわゆる生活格差と宗教対立が要因。特定宗派の人間だけが生活の潤いを享受する差別的支配へのNO!だ。
 
そればかりか、この反格差のうねりは、アメリカ、イギリスという自由主義競争社会の原理とシステムを生んだ本家も襲った。ドイツなど北ヨーロッパで起きている反原発運動もその推進者の多くは反格差運動支持者だ。

当然ながら、この国には未曾有の大震災が起き、これまでの神話や幻想がくずれた。どこかで、自然災害に弱いのは開発途上国のことで、先進国の社会システムが災害で総崩れになるわけはない…という幻想の崩壊だ。そのチェックを被災地域の人々も、行政も、国政も、そして、マスコミも、日本人全員が行わず、国の崩壊はないという神話にしがみついていた。
 
あ、しまった…。これではいけなかったのだ…。オレは福島県内や石巻の被災地を回りながら、その声をいたるところで聴いたような気がする。それは、からくも命を救われた人たちだけでない。多くの亡くなった人々の、その無念の声を聴いたような気がしたのだ。
 
人は支配と隷従の関係につらくなると、怒りの矛先を自分や環境に向ける。自分がいけなかったのだ…。こうなったのは運命なのだ…。そして、やがて、自由の自己獲得のための闘争心を自ら飼いならしていく。
 
最後には支配者に依存し、アムステルダム症候群のように、支配者を崇拝、愛することもする…。それが、権威や権力への依存をより高めていく。

しかし、それもできないとき、人は自ら死を選ぶこともある。小泉政権以後のこの国の自殺者数の増加をみえれば、その理由がわかる。
 
対立がすべてを解決するとは思わない。闘争だけが人々を幸せに導くとも思わない。しかし、何に対して怒り、何に対して立ち向かって生きていかなければならないのか。それについて自分がどういう主張と取り組むをすべきなのかは問わなくてはいけない。
 
人が自由であるために必要なことは、その問いを怠らないことだ…とオレは思う。ただ、批判するだけなら、だれにでもできる。悪役をみつけ、それを糾弾するだけなら、子どもの喧嘩でもできる。大事なのは、何かと対立することではない。排除することではない。
 
自分たちのあり方も含め、何かを変えることだ。自分、あるいは、自分が愛する人々のために、よりよき生き方の道を探し続けることだ。世界のための一歩を、小さいな自分たちの生活中から歩み出すことだ。
 
そこには醜い人の心もあるだろう。浅ましい虚栄や保身、利己とも出会うだろう。また、弱き自分と出会うかもしれない。人間不信に襲われることもあるかもしれない。しかし、その孤独の中で、みつける何かはきっと何にもかえられない宝だと思う。

大いわき祭の地元協力団体、支援団体、出演団体、そして市民参加していただいたみなさんへのあいさつ回りが昨日で終わった。そして、また、被災地のその後を襲う悲しいニュースも耳にした。もしかしたら、その悲しい思いを抱いたのは、オレたちmoveのいわき視察にいった数人も知る人たちだったのかもしれなかった…
 
明るさだけで人は幸せに導かれるのではない。明るくあろう、元気でいなくては…その圧力が人を追い詰めることもある。
 
 
人は、どうしようもない悲しさや涙の向こうに、それでも片寄せあうわずかな温かさの中に、わずかな希望が抱けるのだ。人はどのようにも豹変する。追い詰められれば、正常な心を失う。それをさせない地域、社会、国、世界はどうすれば、実現できるのか…帰りの車内でオレはそれを考え続ける。答えのない問いを問い続ける…。
 
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