秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

小さくなり続ける島国

午前、いわき市会津若松市、その他の出店団体にデータの送信依頼と調整の連絡を入れ、午後、明るい社会づくり運動港支部に力のある方にイベントの協賛のお願いに伺う。

 
せっかくだからと、1時間ほど珈琲をいただきながら、被災地の実状や情報についてお話しする。この間、NHKスペシャルで放映していた復興予算が被災地の現実に届いていないドキュメンタリー。オレのまわりでも相当数の人が視聴していたが、やはり、ご覧になっていた。
 
除染や原発事故復旧作業、瓦礫処理、被災地の土木建設工事、再生エネルギー事業、整備事業、防災事業…いろいろなところにその予算を求めて群がる怪しい連中もいれば、それをうまく流用している輩もいる。反社会的勢力がNPOを隠れ蓑にして、仮面をかぶり、その予算を食い物にしているところもある。
 
混乱期、復興期はいつの時代でも、こうした国→県→市町村の予算に群がる奸閥や賤しい輩が出てくる。
 
行政は行政で、事務処理業務や告知広報にはある程度熟練していても、本来、プランニングや行動計画の立案には弱い。市町村議会や県議会、行政の長の決議や指示の中でしか、仕事をやれないからだ。一人の地域生活住民でもあり、いろいろと思うところ、考えるところがあっても、それを地元組織のいろいろな人間的付き合いやつながりがある中で、実行し、形にしていくのは容易ではない。
 
結局、どこか歪な形にならざるえなくなってくる。

それを変えていくにはいろいろな道がある。いま、この国の人たちは、それを政治のふがいなさや能力の低下に押し付けて、それが変われなければ、まるで何も変えれらないように思っている。確かに、国政と地方政治との関係や国政そのものを変えていくことは必要だろう。だが、果たしてそれだけで、問題は解決するのだろうか…
 
そもそも、こうした不手際や不始末、あてにならない政治を選び続けてきたのは、オレたち自身ではないか。ああだこうだ、文句をいうなら、それは子どもできる。しかも、ああだこうだ、文句をいっていながら、戦後67年、ここに至る国と政治を選んできたのもその人たち自身でもあるのだ。
 
政党や政治家や国政、地方行政の長や人を入れ替えれば、それで片の付くような簡単な問題ではない。そのことに、この国の人たちも、そしてマスコミもまったく気づいていない。
 
人々が思うようなスター政治家なんてものはいない。人々が思うようなスター政党などありはしない。また、人々が思うような伝統と歴史を持つスター政党もありえない。あれもこれもといろいろやりながら、失敗ずくしてきたのがこの国の政治だ。過去の政治の歩みと歴史をよく考えてもらいたい。国民万民がいまでも賞賛するようなスター政治家やスター政党などどこにあったのか、あるのか。
 
すべてを政治に…ではなく、自分たちの足と手と汗で自分たちの地域や町を自分たちの望むあり方につくりあげる。その一歩の決意と希望が自分たち自身になければ、じつは、何も変えられないし、変わらないのだ。だれかに頼り、だれかを当てにし、だれかに判断をゆだねてきた結果が、いまなのだ。
 
その上で、そこでの失敗や挫折をまた、だれかのせいにし、だれかをスケープゴートにし、自分たち生活者の責任や義務、そして行動を放棄してきた結果が、いまなのだ。
 
そのいまの延長に、また同じいまをこの国の人はつくろとしている。どう政治を見渡しても、そこに新しい明日への提言とスタイルはなく、この現実から世界に広くつながろうとする視点はない。ただ、ただ、さっさと、明確に、簡単に、物事を処理することしかない。
 
幼稚なこの国の、稚拙な言動や行動…目先をかえ、目新しさを装い…それでいて、じつは、何一つ変えず、装いの新しさだけにちょっと安心をえる。
 
その中で、置き忘れられている人々がいる。棄民されていく人々がいる。忘れられていく、亡くなったいのちがある。ただ、ただ、続く依存の道。自由を求めながら、不自由さを生きる、極東の小さくなり続ける島国。