秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

小さな誓いと覚悟

24日・25日のいわき市でのあいさつ回りは、これまでになく充実していたと思う。
 
一度、ハードルを設けられ、それをとりあえずクリアしたことで、胸襟を開いて語り合えるようになったことも大きい。
 
とはいえ、これでオレやMOVEのすべてが受け入れられたとは思っていない。
 
まだまだ、オレたちが、本当の信任をえるには、時間がいるだろう。地域の要職にある公的な立場の人間にすれば、いろいろなことを考えざるえない。行政関係の動向は民間にも影響を与える。そのことを知れば、そうやすやすといろいろな申し出を受けるわけにもいかない…逆の立場なら、オレもそう考える。
 
しかし、一方で、行政の強い後ろ盾なしでも市民が直接つながれば、いろいろなことを実現できる。要は市民が自ら協働する姿勢や姿が浮かびあがれば、公的な立場にある人々も動きやすくなるし、動かざるえなくなる。
 
そのシナリオを企画者が忍耐強く、つくりあげる…その姿の中にしか、説得力はないのだ。大いわき祭の成功に、オレが少しも舞いあがっていないのは、それを知るからだ。
 
MOVEは、これからITセミナーを軸に、国内初の情報サイトポータルの立ち上げに向う。同時に、いわきと出会ってからずっと考えていた映画の制作に立ち向かう。
 
ただ、売名のように映画をつくりたいのではない。被災した地域の、原発事故を引き受けた人々の、それにより地域共同体を奪われている生活者の、ごまかしのきない、行き場のない思いを底上げするには、被災した当事者である市民が力を結集して、これを実現したというものを生み出すのが一番いい…そう考えているからだ。
 
市民祭りや復興祭もいい。映画祭や音楽祭もいいだろう。国政に対して異議を唱えた集会やデモをやるのもいいだろう。
 
しかし、何よりも大事なのは、心深くに格納している自分たちのいら立ちや不安を吐き出し、それぞれがそれぞれの立場や生活の中で、くいしばっている奥歯の傷みを共有し、そうなのだ…オレたちは、私たちは、この悲しみにあっても、生き抜く力が、きっとあるのだ…そう思える何かにみんなのバラバラな思いを結集することだ。市民が参加することだ。主役になることだ。
 
それには、オレは映画づくりに関わることが一番いい…そう思っている。市民全員参加の映画…
 
そんなことをいうと、また、人々はいうかもしれない。そんなことができるはずはない。そんなことは夢物語だと…
 
理想を笑うことはだれにでもできる。夢物語だと批判することはだれにでもできる。
 
だが、だれにでもできることをしない…その決意の中にしか、新しい道は拓けない…と、オレは思う。すぐに成功しなくてもいい。左に、右に舵を切り、大きく船を動かせなくてもいい。わずか3度、5度でも舵を動かせれば、時間はかかっても船の舳先は必ず方向を変える。
 
問題は、それを見越して、確かな3度を算出できるかどうかなのだ。確かに、舵を切れるかどうかなのだ。
 
大いわき祭の成功の報告とお礼に、薄磯、豊間へいき、黙祷、合掌し、誓ってきた。
 
3月11日、14時46分18.1秒。あの時間でとまったまま、自らの死を自覚できない人々がこの国にはいる。失われたいのちへの思いを抱えたまま、笑顔でいきる人々がいる…
 
現実の重さと同時に、それをオレたちは忘れてはならない…その鎮魂と未来を生きる人々のために、新生日本をつくる決意を示していかなくてはいけない。
 
それが、小さな市民にできる、小さいが確かな誓いと覚悟だ。
 
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