まだ、なっていない
よく人は現実的な状況から…とか、現実的に考えてみても…とか言いたがる。
しかし、その大方の現実的な…という言い方は、これまでのやり方や決まり、ルール、常識、もっといえば、これまでの世界観からみて、そうせざるえないから…それ以外の道は難しいから…という意味合いを多く含んでいる。
人が生きる現実をよく見聞きし、わかり、それを土台としながら、物事を進めるというのは、大切なことだ。しかし、現実をよくわかればこそ、現実に妥協してはならないことの方が実は多い。
単に声になっていない。単に、現実を変える意欲が失われている…あるいは、妥協しないでいようと取り組んで、大きく裏切られる、疎外される…ということがあるからに過ぎない。
だから、現実的な状況から…といっているもの、信じられているものを疑うことをしなければ、現実の向こうにある、真実は見えてこないのだ。
変えられない…のではない。変えようとしていないのだ。妥協するしかない…のではない。妥協することで楽をしたいのだ。いままでとは違う現実を現実に根付かせるには、途方もない力がいる。それが、権威や権力の側からではないからこそ、既存の力ではない、静謐な力がいる。芯の通った本当に強い力がいる。それを持とうとすることに、人は常に臆病だからだ。
たったひとりの人間には変えられないことがある。しかし、たったひとりの人間でも、変えていくきっかけをつくることはできる。現実にこれまでにない何かを根付かせるということは、花火のように起きるのではない。一瞬の風のようによぎるのでもない。
ひとりの人間が黙々と、鈍牛のように、前に進むことで終ってもいい。そのあとを、また、だれか、たったひとりの人間が同じように黙々と歩むことで道はできる。自分ひとりで変えられない…のではない。自分ひとりで変えようとするから、実現できないのだ。自分ひとりでは、その現実の変わった姿は見えなくてもいい…その覚悟と忍耐の中にしか、次の現実は立ち現れてはこない。
大飯原発の再稼働がなし崩しに始まる。現実的な状況をみて…という言い方でそれが始まる。一定の留保付。だが、現実的な状況をみて…といまある現実に依拠していれば、いつか、一定の留保は、消えてなくなる。