秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いわき協働プロジェクトの目指すもの

なぜ、秀嶋さんは、いわき市での協働を言うのか…
 
不思議なことにそうした直接的な質問を受けたことがない。今回の協働プロジェクトで多くの人にお会いした。その中でも、先方からそう切り出すことはなかった。これは、いわき市民、福島県民、東北人の一つの気質かもしれない。
 
ただ、いわき市が置かれている現状や困難について、語られている姿とその内容を聴けば、オレがなぜいわき市で協働をやろうとしているのか…という答えがあった。
 
事前にこちらの趣意をまとめた資料を送っていたこともあるが、オレの考えを読み取って、その質問は必要ないと理解していただいていたのだと思う。
 
地元FMのSEAWAVEいわきの指揮をとっているAさんが、オレの話を聞いて、そういうことなら協力したい…といったのも、いわき市が抱えてる自己矛盾や内部軋轢、そして、言葉にはしない将来不安の中にいわき市があることを知っているからだ。
 
これは、昨日のブログで紹介した商工会議所のK事務局長も同じだった。今回のいわき市訪問前に、スパリゾートのYさんと面談したときもそうだった。オレがスパではなく、いわき市全体のことがやりたい…といったとき、Yさんの表情が急に変わった。
「そんなことをいったマスコミ関係の方はひとりもいません…」。
 
単に、支援したいから、物産展をやってください…。義援金を商店街で集めて持ってきました。フラガールががんばっている姿をテレビドラマや映画にして、応援します…これで片がつくほど、いわき市が抱えている問題は簡単ではない。
 
幾度も書いているが、いわき市は2度被災を経験している。3.11と4.11。しかし、その被害の実状を知られることはほとんどなかった。その上、原発から50キロ圏内という実に微妙であいまいな場所にある。原発被害の指定地域と同じ保証はえられない。
にもかかわらず、原発の風評ではなく、現実被害を受けている。
 
幼い子どもや妊産婦などはいわき市にとどまらない人も多い。とどまりながら、不安を抱えている人も少なくはない。いま、メルトダウンと公表されたが、最初の水素爆発が起きたとき、いわき市の人々も避難した。その現実と恐怖をいわき市の人たちは知っている。
 
被災だけなら、時間はかかっても回復への道を歩み出せるだろう。しかし、そのためには、安心が絶対条件だ。原発の不安のほかにも、地震への不安が追い打ちをかけている。復興へ…と歩こうとしたときに、4.11を経験してしまったからだ。

そうした環境で企業や商店、農産業が自力だけで活気づくことは容易ではない。国政への連呼も必要だ。こうした自己矛盾を抱えてるいわきの現実を承知で、いわき市とタグを本気で組もうとする外の人間の力と知恵がいる。
 
オレは商工会議所のKさんにいった。
 
いわき市は、日本の縮図なんですよ。原発、つまりはエネルギー問題、農水産業の問題、観光の問題。それが震災による直接の被害のほかに、原発事故の問題もしょわされ、かつ、実に中途半端にしか支援を受けられない…その根幹には、この国がずっと放り出してきたいろいろな問題が見える。市町村合併での歪みも残されたままです。それがすべて、いわき市で噴出している。だからこそ、まず、いわきから新しい取り組みを始める価値と意義がある。そう思ったのです…」。
一過性の支援活動など、鼻から考えてはいなかった。日本を変える起爆剤になるような継続的な取り組みをまず小さな市民の力の結集から始める。それが自治体を動かし、国政を動かし、国のあり方を変える方向性を示していく…

いろいろな協働プロジェクトを進めるが、オレの腹の中にはそれが常にある。
 
「死んでいったもんが、もう一ぺん、この国に生まれたい…この土地に生まれたい…そういう国にするのが、生き残ったオレたちの務めじゃきに」
 
 
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  コメ卸の相馬屋さんの倉庫で      MOVEメンバーとジャーナルスタッフ