秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

本気でつくらなくてはいけない

13日は、午後、久ノ浜の被災した商店街が「浜風商店街」という仮設の店舗営業をしている場所へ。丁度昼時を過ぎていたので、そこにある「やすらぎ食堂」でサービス期間のタンメンを注文する。500円。ワンコイン。とは思えないうまさw 壁には、ここを支援で訪れた著名人のサイン。うなづける。
 
隣のテーブルに、高齢の除染作業員の方たちがいて、食堂のおかみさんと今日はどのあたりの除染をやってきた…という会話が聞こえてくる。そうなのだ…ここは原発から30数キロしか離れていないと…改めて実感する。
 
いわき市原発地域に隣接しながら、福島市郡山市に比べたら驚くほど線量が低い。いまなら、逆の東京の一部の方が線量は高い。しかし、場所によってはホットスポットになっている箇所も少ないながらあると聞いた。
 
高齢の方たちをまとめていたのは、市の保健局の人。ヘルメットにそれとわかる文字があった。闇世界の連中は、もっと線量の高い地域ではないと商売にはならない。まだ、ここはコツコツと地元の人間がそれに従事している…そこに奇妙な救いを覚える。
 
あとで、地元ジャーナルのAちゃんにその話をしたら、おそらく、隣町の広野や富岡あたりへ除染の応援にいっているのではないかと教えてくれた。
 
食堂の女将さんに、「梅月」の場所を尋ねると、案の定、久ノ浜のおかあさんたちに聴いた通りの返事が返ってきた。「あそこは、昼頃には店を閉めてしまうから…空いてるかどうか…。ここの人じゃないでしょ? 場所はわかる?」
 
「梅月」とは、久ノ浜ばかりでなく、いわき市では有名な和菓子屋さん。そこが久ノ浜の海岸近くにあり、被災した。火事で焼けてしまったのだ。焼け出された当初、店主は店を畳もうと決めたらしい。しかし、安否確認の連絡をくれた地元の警察官が、無事を確認すると、次にいったのは、「おじさん。いつからやるの?」。そればかりでなく、常連の客たちや近在の人たちからもその声が上がったらしい。みんなが、梅月の開業を心待ちにしていてくれた。
 
店主は83歳。「この歳で、もう一度人生をやり直せるとは思っていなかった…」。その気持ちを押したのは、梅月の桜餅を楽しみにしている人たちの声だった。
 
菓匠と看板に出すくらい、店に入るときちんとした和菓子、洋菓子がカラスケースに並んでいる。客の足は途切れない。しかし、客が買っていくのは、桜餅ばかりだ。
 
あそこは、すぐに閉まるよ。桜餅がなくなったら、他の商品があっても閉めてしまうから。昔からそうなの…。久ノ浜の海神乱舞(わだつみらんぶ)のおかあさんたちが教えてくれた。だが、幸いにして、2時少し前でセーフ。話題の桜餅が手に入った。店はすっかり新店舗。客が多すぎで、店主を呼び出すのは遠慮した。
 
その足で、末続(すえつぐ)駅へ。FMいわきの取材で、映画のロケにつかわれた駅がある…と教えてくれた。
 
駅の向こうには海岸がある。実は、ここがいわき市内だということを知る人は少ない。いわき市民でも、ここは広野町と勘違いしている人がいると聞いた。しかし、ここも被災し、家が流されている。震災後しばらくは、世帯数が少ないこともあって、忘れられた被災地いわきの中で、さらに忘れられた被災地になっていたらしい。その現場へ。
 
3.11の一周忌、オレは薄磯の海岸にいた。100日法要以来、ここに戻ってきた家族もいたのだろう。オレ自身、そうだった。流された自分の家の周辺を歩きながら、遺族が喪服姿でゴミを拾っていた。
 
観光でいわきを訪れて、被災地を見て回る。ボランティアが立ち寄る。そのとき、観光客やボランティアが捨てたゴミが落ちているのだ。それを遺族が拾っている…。ひどい話だ。しかし、そこには目がまだ行き届いている。末続の海岸は、おそらく、遺族以外、だれも訪れる人がいない。だから、土を踏み足がない分、雑草がこけむしている。

被災地の顔もひとつではないのだ。まして、ここは広野と隣接している。ここも原発事故のときは大変な騒ぎだっただろう。しかし、だれの救いの手もなかったに違いない。
 
その少し高台に、特別養護老人ホームがあった。翠祥園。前から気になっていた。どうして、こんな辺鄙なところに…。末続の被災をその頃はまだ知らなかった。
 
忘れらた土地に、まるで忘れられるように、高齢者の施設があった。被災当時、入居者は近隣の病院や施設に移動させられたらしい。余命を生きる、最後の住家を震災が襲う。幸い施設に破損はなかったらしい。だが、水も電気も食料も…そこでは断たれた。

家を流された人々、火事で喪失した人々に比べたら、そこに戻れたのだからよかったとはいえるかもしれない。しかし、家族とは別の生活を生きなければならなくなった高齢者が、高齢者だけの世界で被災する…そこにある心の動揺と不安は、きっと深かったろう。家族のいない世界で、ひとり死を迎えるかもしてれない…その不安と恐怖だ。
 
前にもふれたと思う。震災で亡くなった高齢者数、福島・宮城・岩手を合わせて、13000名以上。今回の震災の死亡者数の半数を占めている。震災関連死と認定された数1600名以上。その大半も高齢者である。生き延びた子どもたちも心に傷を負った。生き延びた青少年、中高年世代も心に傷を負っている。それをいやす力のある高齢者が亡くなり、また、必死に立ち上がろうとしている。
 
高齢者、女性、子どもにやさしい社会…それを本気でつくらなくてはいけない。
 
写真は被災した末続の海岸近く。
 
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