秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

守るべきもの育てるべきもの

12日午後は、FBで知り合い、オレのウォールを丹念に目を通していただいてる、いわき市在住のコンサルタントFさんに、岡倉天心の展示をする五浦(いづら)美術館に案内していただく。Fさんは、勿来(なこそ)に在住ということもあり、その道すがら、勿来のはずれの高台にある双葉町仮設住宅に立ち寄りたいという思いもあった。
 
東京美術学校の初代校長岡倉天心明治維新廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって破壊、消失されそうになった古美術や伝統美術を必死に守り、西欧近代化の嵐の中で、日本のアイデンティティを美術を通じて守ろうとした。その延長に、「亜細亜はひとつ」という信念を込めて、西欧文化になんら恥じることのない、日本及びアジア文化の自主自立を提唱した。美術を通じて、日本の近代化の歪さを痛烈に批評したのだ。
 
岡倉が維新から明治政府樹立とその後の時期に、この国にいなければ、いま浮世絵や江戸職人の彫金、彫刻、木工、染色、日本画といった伝統美術の多くが目にすることもできなかった。
 
皮肉なことに、岡倉が守ろうとした美術品の多くが、彼が持ち込んだボストン美術館に多数残っている。日本人が不要としたものを近代化を迫ったアメリカが保護した。近代化をゆるやかに果たした国となりふりかまわず、エセ近代化を急進した愚かな
国との違いだ。
 
みたいな話をブログでしたのを覚えていてくださって、わざわざITセミナーの翌日、せっかくのお休みを返上して、オレに付き合ってくださった。
 
仕事でしか海外も国内もいったことのないオレ。仕事先で、心にひっかかる名所旧跡、遺構、歴史的資料館などがあっても、スケジュールに押され、まず立ち寄ることはない。Fさんが誘ってくださらなかったら、天心が美術学校から追い出されたのち、日本美術院の拠点とした五浦(いづら)にくることはなかっただろう。実は、スーパーひたちでここを通りすぎる度に、ああ、また、ここには寄れないな…と心の中でつぶやていた。

しかし、御多分にもれず、仕事と遊びの区別のつなかいオレは、F
さんに甘えて、双葉町仮設住宅へ。「ここは勿来の人もよく知らないのでは…」とFさんがつぶやように、交通手段も車しかつかえない不便そうな場所にある。

この地域を包括するいわき市の南警察署の生活安全課の課長さんが、地域の郵便配達、宅配業者、新聞配達、そして警察官といった生活導線で仕事をする人々を集め、双葉町の避難施設をサポートするためのサポート隊をつくった。立ち寄った配達先だけでなく、巡回で訪れた家だけでなく、何かで避難住宅を訪れたら、隣近所に声をかけ、見守ろう。何か問題があれば、報告し合おう…そんな取組を始めた。

前にもふれたが、セーフティネットの代役を地域にかわって、NPO法人が永久に担うことなどできはしない。地域が自分たちでやれるしくみが大事なのだ。それをたったひとりの警察官がスタートさせた。
 
避難施設と地域住民には、こうした美談ばかりでなく、いろいろな軋轢がある。それを乗り越えるのも、結局は、当事者でなければならない。制度やしくみが機能するためには、それが不可欠の要素なのだ。
 
天心が日本の伝統美術を守ろうと孤軍奮闘した。だが、その力は歴史に大きな足跡は残したが、歪な日本近代を止める力にはならなかった。制度やしくみをつくるのは、所詮、人間の集合した力でなければできないからだ。困難を乗り越えるのも、集合しようと熱意の中で、人と人がわがままをいい、ぶつかり合うしかない。

一番いけないことは、語るべき思いを封印させ、くだらない正義や美談に現実を押し込めないことだ。そこにしか、守るべきもの、育てるべきもの、開くべき未来は、見えない。