秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

憐みや同情ではなく

12日、午後に「大いわき祭」に手弁当で参加していただいた、久ノ浜の海神乱舞(わだつみらんぶ)よさこいのお母さんグループの代表の方たちに時間をいただいた。
 
福島テレビでは放送していたが、福島県内の踊りの市民グループいわき市のアイオス(市民文化センター)に集結し、復興祭として、ダンスや踊りを公演した。その出演終了後に1時間ほどお話を聞かせてもらったのだ。
 
昨年の「大いわき祭」の出演は、FMいわきのW社長が仮設の商店街の理髪店で声をかけてくれて実現した。被災した久ノ浜の商店数店が、久ノ浜第一小学校の一角に開業した仮設の「浜風商店街」。TBSの情報番組で紹介されてから、スポーツ関係の著名人や評論家が度々、立ち寄っている。オレがいった13日の前日は、マラソンの瀬古くんが来ていたらしい。

開催前、FMいわきのAさんに事前の確認事項で、海神乱舞の東京までの交通費をどうするか…という連絡をいれた。「商工会議所から〇万円を出そうという話にはなっているけど…実はね。みなさん、交通費なんかいらないっていうんだよ」
 
もちろん、〇万円では人数からいっても片道の旅費にもならない。「震災でみんな落ち込んで、踊りも続けられない…そう思っていたら、いろいろなところから声がかかって、踊りを続けていたら、今度は東京の六本木で踊れることになった! そう思ったら、ますますやる気が出て、それだけでもありがたいからっていうんだ」
 
その中には家を流された人、火事で焼け出された方などが6名ほどいた。避難所や避難住宅で生活する方が半数近くだった。その中で、手弁当でも参加するといってくれていたのだ…。横で聞いていたら、こんな話をしてたよ…とAさんは続けた。
 
「東京で踊るとなって、頑張って練習しすぎて、こんなによさこいばかりやってたら、家から文句いわれるよって、だれかがいったら、大丈夫よ、家は焼けてなくなったから…ってみんなで大笑いしているんだ…」
 
その言葉を聴いたとき、オレはがまんしていた涙がとめられなくなっていた。そんな中で、東京まで手弁当できてくれる…それに応えなくては…と思った。そして、この「大いわき祭」は、絶対に成功すると強く確信した。これこそが、オレが何度も送った、市民協働のメッセージの願いだったからだ。
 
そして、わずかばかりだが、こちらからも交通費負担をさせてもらった。ことわっておくが、わずかなカンパ10万円ほどはあったが、「大いわき祭」のその他の費用はMOVEメンバーになってれた、当時35名ほどの会費と役員からの追加負担と参加店舗の15000円の参加料だけで賄ったのだ。良し悪しはべつだが、行政からも、企業からも一円もいただいてはいない。出演団体はすべて無償で出演してくれた。

後日、お礼でお会いしたとき、海神乱舞の会長さんがMOVE宣言を呼んでくれていたことを知った。「あそこに書いてあってでしょ? してもらう、してやるという関係じゃダメだめなのよね。本当の支援にならない。私たちが自分の力で立ち上がろうとしなくちゃ…そう思ったの」。そういってくださったのだ。

12日は、いま久ノ浜の抱える課題について、お話を聞かせてもらった。以前、聴かせていただいたときと補償関係は変わっていない。つまり、動いていない。しかし、市営団地ができる構想があり、いま期間限定になっている仮設住宅から地域の人たちがバラバラにならずに住居できる場所は確保されつつあると聞いた。
 
いわき及び東北海岸線の大きな課題のひとつは、地域が寸断され、バラバラにされることだ。いままであった地域のつながりは、いわば人々のセーフティネット。高齢者が多いいま、それが期間限定の避難住宅生活をする人々の大きな関心事でもある。
 
徳島県が取り組んでいるタブレットの活用など、そこに導入すべきIT技術は少なくない。いろいろなNPO団体が地域ごとの取り組みで失われたセーフティネットの代役を演じてはいるが、地域の人たち自らが自主的に運営できるしくみがなくてはいけない。どう逆立ちしても、NPO団体がそこに何代にもわたり、暮らしていけるわけがないのだ。
 
―MOVE宣言の一節―
 
互いの顔と声にじかにふれ、憐みや同情ではなく、支援や援助ではなく 今日を生きる同じ生活者として…。
 
同じ町に暮らす町民同士のように、同じ市で働く市民同士のように、互いの課題を共にし、感じ、共に生きる道を探そう。
 
確かな明日のために、互いを知り、新しいつながりと絆を求め、市民が協働しよう! 
 
人々の願いと意志と行動をここに結集しよう!