秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そんなこともわかってねぇで政治やってんじゃねぇよ

生活保護世帯の受給金額を10%カットする…それを次の衆議院議員選挙のマニフェストの目玉にすると自民党が言い出した。橋本氏率いる維新の会もこれには賛成している。
 
理由…自立・自助がまずあって、それから公助。ゆえに、生活保護を受給することで働く意欲をそぎ、それに甘んじるような人を増やすような保護であってはならない。これにより、歳出を年間8000億円削減できる。民主党政権後、バラマキ行政のこの数年で生活保護受給者は増大し、現在203万人。年間3兆円以上に及ぶ生活保護費の抑制は不可欠。
 
昔からこの国の人たちには、生活保護世帯に対する偏見がある。「働けるのに働きもしないで…」「それだけの給与を稼ぐのに、オレたちがどれだけ苦労しているとおもってるんだ」「働かざる者、食うべからず」云々…どこか、生活保護を給付されている世帯や人は、世の中に仇なす人、努力の足りない人、ダメな人、人間失格…といった目でみられてきた。
 
そういうふうにしか社会福祉制度をとらえられない人たちにとって、福祉サービスを受ける人たちは、おしなべて、世の中の余計ものなのだろう。しかし、そうした人たちの言葉をよく聞くと、そこに大きなやっかみがあることに気づく。自分たちはがんばってるのに、がんばれない奴が悪い…
 
オレは子どもの頃、保守リベラルのオヤジからそうした話を聴く度に、学歴社会の警察機構の中で、尋常小学校しか出ていないことで受けた、いろいろないやな思いをそこにぶつけているようにしか聞こえなかった。オレはこんなにがんばってる。それなのに、あいつらは…的な視点だ。

とりわけ、高度成長期の初めの頃や現在のように収入が減少し、いろいろなやりくりや共働きをやらなくては生活が凌げない中で、苦労して生活を築いている人にはその思いが強いだろう。
 
だが、それはあくまで、心情のレベルの話で、法にのっとる国の制度を同じ心情で論じてはいけない。まして、まだ、自分たちがそうしてでも生活が維持できるというラインの枠内にいるから言えることでもあるのだ。不正受給者とそうではない人を同一視して断じるのは、憲法が保障する基本的人権条項に明らかに反している。
 
いまかりに、健康で、えり好みしなければ仕事にもつけ、かつ、親戚縁者、家族とうまくいっており、地域の人間関係においても支えられている…という人。年金や健康保険を苦しいながら、きちんと払えている人。それは、そうではない人に比べたら、まだましなのだ。
 
もし、あなたが、突然の事故や病気に遭い、満足に仕事を続けられない。家族や親類縁者とも疎遠、近親者もいない中で、働きたくても働けない…という場面に遭遇しないという保証はどこにもない。あるいは家族が重篤な病になり、その介護や看病で、まともに仕事が続けられないということだってある。だれもが、国会議員のような給与をもらい、だれもが、高い貯蓄と安定した収入があるわけではない。
 
小泉以後の政治の中で痛めつけられ、「自己責任」というネオコン思想で、それまでの自民党政権の過ちをすべて国民に押し付けられてきた。だまされた!とやっと気がついて、アメリカのネオコンでは、日本人は決して幸せには導かれない…と民主党に鞍替えした。それが、いまでは、またネオコンに賛同する意見が増大している。

決して民主党がいいというわけではないが、この国の政治の大半の過ちは自民党がやってきたのだ。民主党もごめんなさいだが、自民党もごめんなさいからだろう…と思うのはオレだけではない。

政治家というのはどうしてもこうも人心が読めない人ばかりなのか…。生活保護受給を受けなくては生活が経ちいかなくても、それを拒む人の方が実は多いのだ。世間の眼や地域の噂を気にして、恥ずかしいこと…と多くの人が思っている。でなくて、どうして、小泉以後、3万人以上もの自殺者が出る。どうして、年間1万5000人以上もの人が孤立死で死んでいる。
 
確かに、制度があれば、それを利用して甘い汁をえようという輩はいる。それは生活保護受給に限ったことではない。政治家も官僚も、企業人も、公益法人も…どこにでもいる。その歩留まりの悪さを差し引いても、守らなくていけない生活権と人権があるのだ。それが、立憲国家であり、国民主権の基本にあるものだ。

そんなこともわかってねぇで、政治をやってんじゃねぇよ。生活保護受給者を増やさない政治をまずやってから、いえよ。