秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お前ら、Mか

いまの政治状況をみて、マスコミに登場する軽薄な人々はこういう。
 
民主党は軸がぶれ、支持率が落ちているのに、自民党は内紛が続き、離党分裂状態。第3の受け皿になるべく、新党が生まれているが、政策が見えない。選挙だけを意識した政策や内紛が続いていると、国民の政治離れは拍車がかかるし、投票してたくても、どこにも投票できないという状態になる。まったく、政党、政治家は自分たちのことしか考えず、国民生活のことを何も考えていない」
 
こうした類の批判がいまマスコミばかりでなく、国民にも広がっているらしい。
 
それに、あれれ…。と、思うのはオレだけだろうか。そうした声を聴くたびに、オレは思う。政治は、政治家がやるものなのか。政党がやるものなのか。国民の意志と総意によって行われているのではないのか。この国は、国民主権の国ではなかったのか?
 
かつてのような強力な支持母体や圧力団体の数の論理で、国民の意志とたばかって、無理クリ、好き勝手にこの国の舵取りをされてしまっていた時代や政治に、多くの人は戻りたいらしい。政党や政治家に頼りきった政治の国に生きたいらしい。
 
いまや政党や政治家が、100%国民すべての意志と願いを反映させてくれるものではないことを、国民自身がよく知っているはずだと、オレは思っていた。
 
成熟した社会では、人それぞれの幸せの尺度は違う。ある人にとって幸せだと思える生活も、別のある人にとってはそうではない場合がある。成熟すれば、格差は生まれる。富を寡占する輩がいれば、富の分配を受けられない人々も増大する。だから、その立場によって、それぞれの欲求も違ってくる。
 
政治は、できるだけ多数の願いに近づけようとすることはできても、一気に、万遍なく、その声に応えることはできない。なぜなら、この国は真の民主主義国家に生まれ変ろうとしてるからだ。
 
民主主義には、議論が必要。数が必要。一つの議案を通すには、それらを背景とした時間が必要。だから、公約の実現にも、政策の実行にも時間がいる。とりわけ、いまの大転換の時代には、政治家にも、国民にも、忍耐がいる。
 
民主主義政治とは、忍耐の政治制度のことである。
 
だから、政治に求めるものが具体化するまで、それが自分たちの意志に即して具体化されつつあるか、否かを検証し、意志に反していれば、国民自らが声を上げて、政党や政治家に、こうしろ、ああしろと指図しなくてはならない。運動を起こさなくてはならない。
 
それをしないで、政治家や政党を批判し、ちゃんとやってくれてないし~! 超いい加減にしかみえないし~! ちゃんと私のことみてくれないし~! と、国民主権を放り出し、まるで自分の面倒を見てくれるのは政党や政治家なのだといわんばかりに、甘えている。お前ら、Mか。
 
て、いうか。いまの政権選んだの、お前らだろ。だったら、ちゃんといまの政権、自分の手で育てろよ。育てる気がないかったのなら、最初っから投票なんてすんなよ。と、いいたくなってしまうのは、オレがいじめっ子だからか?
 
政党なんて、政治家なんて、所詮は、政党で、政治家に過ぎない。仕事がら、いろいろな政治家に取材することもあるが、この人、優秀だなぁなとど、関心する人は、ごくごくわずかしか出会ったことがない。
 
きっと、優秀だったら、政治家なんてやっていないのだ。
 
だが、オレたちすべてが政治家をやれるわけでもない。間接民主主義制では、政治の仕事をだれかに委ねるしかない。しかし、委ねるのは、その人が優秀だからでも、万能だからでもない。自分たちでは手が回らないから、委託業務として外注しているだけのことだ。
 
つまり、政治家は、オレたちの税金で生活しているように、オレたちが雇用しているに過ぎない。雇用主が雇用者に、甘えてどうする。雇用者を指導し、監督し、よりよき雇用者として育て、生産性を高めるのが雇用主のやるべきことではないのか。
 
それが、いまのマスコミ報道も、国民の声とかいう街頭でのインタビューでも、全く自覚されていない。オツムの悪さを国民みんなで、大合唱して、露呈している。それはそれで、お笑い番組としてみれば、笑えるけど。
 
政党や政治がズブズブになっているときは、逆に国民の意志や総意が政治に反映しやすいということに、もう少し目を向けよう。
 
現実に、戦後65年の自民党政治がズブズブになったからこそ、政権交代が起きた。国民の怒りや意志を無視できなくなかったからだ。いまの政治状況は政界再編にもつながる。そこに、また、人々の意志を強く反映させるチャンスが巡っている。いいことずくめでこそあれ、どうして、そこで、政治はダメだと他人事にできよう。
 
この国の人は、物事が変化することにいつもパニックになるが、つまらない政治家の右往左往に、自分たちまで右往左往せず、じっと目を凝らして、忍耐し、必要の応じて声を上げていれば、さほど優秀ではない政治家たちは、落ち着くところに落ち着くしかなくなる。
 
主権はオレたちにあるのだ。がたがたすんな。