秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

宇宙の法則

先週末、久々3日続けて外苑で負荷をかけた軽いジョギングをした。そのとき、信濃町の高速の入り口付近の外周でサックスの音と出会った。
 
いつもは東京体育館の裏手で吹いている男性だ。きっと、体育館のスタッフから苦情をいわれたのだろう。演奏していたのはMisiaのEverything…。フジの連続ドラマ「やまとなでしこ」のテーマ曲。ふと、足が止まりそうになるくらい、なつかしかった。

押尾の事件があって、TVで再放送はもうできない。しかし、一時期はよく再放送をやって、おそらく、オレは3回は見ているw 日本のドラマでは珍しく、軽快で、ユーモア、ウイットがあり、上品な大人の作品だったと思う。簡単にいえば、センスがいい。ブランドファッションもそれに華をそえていた。
 
それでいて、堤真一演じる魚屋の青年の無骨で、無頓着、不器用な鈍感さ、臆病さがなんともいえない味を出している。彼が実は、MITに留学し、挫折した数学の研究者だった…というところも、数学好きのオレにはたまらなかったw
 
その中で、ノーベル物理学賞を受賞した、リチャード・P・ファインマンの「チェスの謎」という言葉を友人の結婚式のスピーチで、引用するくだりがあった。
 
ファインマンは、物理学者の仕事というのは、神が気まぐれでチェスをやる、それを脇から眺めながら、そこに美しい法則やきまりをみつけようとしているようなもの…。そういっています。しかし、もし、宇宙の法則が気まぐれの偶然でしかないとしたら、そこで、数学者は何もすることがない。しかし、ぼくの友人は、そのチェスの謎を解くことをあきらめないことで、ステキな花嫁と出会い、ぼくたちもこうしてこの会場で出会うことができている…もしかしたら、人が出会うということはこれも何かの法則による運命なのかもしれない…」

確かに、人が出会い、なにがしかのつながりを持つ…というのは偶然ではないという命題は、物理学者や数学者が解明しようとしている素粒子論やリーマン予想といった命題にも通じるものだろう。
 
人類学の分野では、人の人への好意は、自分とは違った骨格の顔に左右されるという研究がある。それは、近親相姦や同族結婚を避けるための人類の知恵だといわれている。しかし、なぜ、それに人類が生物学や動物学の知識もなしに気づいていたのか…それも謎だ。
 
いや、そもそも、遺伝子というものがどうして存在したのか。誕生したのか。それも解明されてはいない。しかし、多くの謎とまだ解明されない世界の中で、偶然のような素振りで人は生き、人と出会い、歴史をつくっている。そう考えると、ひとつの出会い、だった一組の男女の小さな愛がいかに奇跡的で、不思議に満ち、かつ、大きいか…ということに気づける。

人は、異なるものを排除しようとしたり、差別したり、ときは、蹂躙したりする。反抗し、対立するものをねじふせようともする。しかし、同時に、違うことで、いとおしく、この世にひとつしかない、かけがえなのないものだと実感することもできる。
 
仕事の邪魔するような女は面倒くさい…といいながら、二人でいたいときに、読みかけの本をとったり、愛を確かめたくて、誕生日にはこれが欲しいとわがままをいう異性を、しょうがねぇな…と口ではいいながら、どこかいとおしく思ってしまうもの、そんな宇宙の法則に支配されているかもしれないのだw

しかし、常識をわきまえた、こういうかわいい女性も少なくなった…というのはオレが歳をとったからか?