秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

夕鶴

受験生時代からノートをとらないようになった。大事なメモや要点は、すべて参考書やテキスト、書籍にそのまま書きこむ。とりわけ、海外図書や思想書、戯曲の類はそうする癖がついてしまった。それはいまも続いている。書籍をひらけば、それだけで用が足りる。
 
大学の頃、メシや酒代がなくて、阿佐ヶ谷の古本屋によくいったが、書き込みが多いためにムリして買った高価な哲学書も安い値段でしか引き取ってもらえなかった。その度に店主が気の毒そうにいうのだ。「お目が高い。実にいい本なんですけどね…」。
 
早稲田の外国書籍を扱う古本屋の店主には、「よく読み込んでいらっしゃいますよ…ここまで読む人はそういない…。でも、その分、お値段がね…」とこれも返って恐縮されることがしばしばだった。
 
子どもの頃は、本に書き込みをするなんてことをしていたら、オヤジにひどく怒られたろう。本を枕にしたり、跨ぐだけで、ひどく怒られた記憶がある。それほど、昔の人間にとって、書籍というのは重い意味があった。
 
あるとき、オヤジに理由を尋ねると、「この本を書くために、書いた人はいろいろな思いを込めて、寝ずに書いているんだ。本は作家そのものなんだ。そんな気持ちのつまった本をおろそかにしてはいけない」。

当然のことだが、俳優やスタッフが台本をなくすというのは言語道断だが、オレが強く注意するのはそうしたこともある。いまではずいぶん穏やかになったが、高校演劇部や劇団をやっていた頃は、激烈に叱りつけていた。芝居をやる資格なし。俳優を目指す資格なし。ま、オレの場合、台本はすぐにボロボロになるので、制作がいつも3冊もくれるのだがw
 
自分で物を書くようになって、オヤジがいっていた言葉の意味が体でわかるようになった。タイプにもよるだろうが、オレは身を削るようにしか本が書けない。その分、その時間をだれかに見られることはひどく嫌う。通常、周囲が知っているオレとは遠く及ばない姿になるからだ。
 
ある大手劇場に芝居台本を頼まれたとき、オレの仕事をサポートしていたスタッフがあまりに鬼気迫るその姿に、言葉をなくしていたw 夕鶴のおつうさんみたいなものだw 
 
さてさて、資料を一通り完読したところで、機織りを始めるとしよう。