秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ヨイトマケの唄のパラドクス

小中学校のとき、第一次、第二次、第三次産業…という言葉を学んだ人は多いだろう。
 
これは、イギリスの経済学者コーリン・クラークが『経済的進歩の条件』と題した論文の中で、産業の進展は、第一次産業から第三次産業へと構造変化を起こすことによって生れると解説したことがもとになっている。
 
確か、オレも学校の授業の中で、第一次産業の産業比率の高い国々というのは、発展途上国(かつては、低開発国といわれた)に多く、社会的には立ち遅れた国々がそうである…という教えられた方をした記憶がある。
 
あえていうまでもないが、第一次産業というのは、農業、林業水産業など、狩猟・栽培・採取を軸とした産業のこと。人類の食生活の基本を支える原初的な産業だ。当然ながら、そこにはエコロジーが存在する。乱獲や過度の農地開拓は自然を破壊し、結果的にこうした産業を疲弊させる。食べる分だけをいただく…という精神文化が必要になる。そして、その精神を喪失し、乱獲や次に述べる産業構造の変化で、資源の枯渇に直面した。
 
これもあえていうまでもないが、高度成長期というのは、重厚長大産業(重化学工業から第三次産業を除いたもの)を中心にした経済成長をいう。つまり、第二次産業である、製造業・建設業といった工業を軸にした大量生産、大量消費による成長だ。ただし、そこには、人口の増加、若年低賃金労働力の増加という絶対条件がなくてはいけない。これも公害、自然破壊というリスクと同伴だ。水俣、カネミ、イタイイタイ病四日市ぜんそく訴訟など枚挙にいとまがない。現在では、原発事故がその象徴でもある。
 
第三次産業は、集約的な産業のことだ。公益事業、たとえば銀行・保険といった金融関係のような資本集約型の産業、飲食業や運送業のような労働集約型産業、そして、情報・教育のような知的集約型の産業のことをいう。これには、膨大なエネルギー消費を必要とする。快適なオフィス環境、都市的な生活がそのバックグラウンドに必要になるからだ。
 
御承知のとおり、成熟した資本主義社会は、この第三次産業を産業構造を柱にする。そこにマネーゲームも生れれば、ITバブルといったものも登場した。そして、人々が手に豆をつくる産業、労働人口の増大に頼った第二次産業は、輸入や海外生産に依存するという構造に変わっていく。その延長に、非正規雇用労働が誕生した。第三次産業である、ITの技術応用で、一定の訓練を積めば、だれでも製造業に従事できるという環境が後押しした。賃金格差も生まれた。
 
ここに産業の空洞化現象が生まれる。生れるだけではなく、第一次、第二次産業に従事すること自体が、かつての3Kという言葉に象徴されるようなダサさとして、偏見視される。賃金格差ばかりでなく、生活格差、評価の格差が生まれたのだ。
 
だから、当然ながら、そこに従事しようとする若年層が減少する。人口の減少でさらにこれが加速することで、地域から若年層が乖離していく。地域の疲弊、地域共同体はこうした経緯の中で、溶解していった。そこには、幸せの基準がひとつしかなかったからだ。

いま、丸山明宏(現、美輪明宏)をスターダムに押し上げた、「ヨイトマケの唄」がリバイバルしている。オレがたまにいく、格安中華の日高屋ではいつもそれが流れている。
 
学歴のないおふくろが、土木建築の現場で日雇い労働をして、息子を大学にまでやる。息子は、日雇い労働の親であることでいじめもうけ、自分自身、恥ずかしさを感じていた。しかし、その母のおかげで、自分はいま大学を出て、エンジニアになっている…。努力すればむくわれる神話が成立した時代、多くの日本人が高度成長期の貧しさの中で、その歌を聴き、涙した。
 
しかし、そこにあったのは、大学の工学部を出て、いまをときめく重厚長大産業の大手企業のエンジニアになることだったのだ。歌詞の哀切さやヒューマニズムを感じさせる一方で、結局は、豊かさ、学歴、社会的地位が、幸せの基準だった。まちがっても、♪いまじゃ、農業の従事者さ~とか、漁業の担い手さ~とはなっていないw
 
ことほどさように、この国、そして、世界は、利便性と経済的な豊かさを獲得し、都市的生活が実現すれば、人は幸せになれるのだという、たったひとつの幸せの尺度だけで生きてきた。それを保証するために、学歴、帰属する企業や団体のネームバリューを第一としてきたのだ。
 
東日本大震災は、それがいかに脆く、幸せの基準はひとつではないのではないか…という問いをオレたちに突き付けた。家族がみな元気で共にいられることがいかにありがたいことなのか。地域のつながりがいかに大事だったか。農水産業の安全が守られ、そこに従事してくれる人があって、初めて、自分たちの食が確保されている…
 
それを守るために、そして、幸せの基準はひとつではないという新しい価値を持った地域、国となるために、いま必要なのは、それをもう一度検証し、東京=都市的利便性や都市型消費の方向だけを目指す基準を変えることだ。域内の内需、地域間連合による内需拡大、そして、それをテコに、地域が直接、海外とつながる導線を紡ぎ出すことだ。