秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

セルフ・ネグレクト

大学を卒業するときだった。後に結婚の媒酌人になっていただいた、英語語法研究の教授から、大学院への道もある…と声をかけられた。しかし、オレは、英語学ではなく、可能ならば、イギリスの大学院に進み、演劇の勉強ができればとひそかに思っていた。
 
ちらりとおふくろに話をしたが、それだけはやめてくれと電話の向こうでいわれた。「福岡を出たとき、もうここには帰ってこないだろうという覚悟はしていた。しかし、東京ならば、同じ日本。いつでも会うことはできる。あんたが海外にいったら、きっともう二度と日本へは帰ってこないだろう。だから、それだけはやめて…」。
 
確かに。あのとき、イギリスへ遊学していたら、福岡を出てそうだったように、オレは最初のうちは数回帰郷しても、そのうち、日本には帰らなくなっていたと思う。ずっとイギリスにいたかどうかはわからないが、おそらく、そのあとはニューヨークのアクターズスタジオにいっていただろう。
 
ロシア語を多少、勉強したのも、実は、モスクワ芸術座で、ネイティブで「三人姉妹」「桜の園」「外套」といった芝居を鑑賞したかったからだ。小説にしろ、芝居にしろ、映画にしろ、言語を介在する表現は、できれば原書やその国の言葉で学ぶのがよい。母国語を介して翻訳された世界では、実は、本当の意味で、その世界を理解することは難しい。当然ながら、欧米の作品を理解するのに、聖書は必読書だ。

それほど、自分の生まれた場所への執着がない。しかし、それは、歳を重ねる親兄弟・姉妹、親族といった共同体の縁を自ら断っていくことでもある。
 
ある研究所の資料をあたっていたら、年間1万5000人以上の高齢者が、無縁社会の中で、悲惨な孤立死を遂げている。セルフ・ネグレクトという言葉が最近、高齢者の孤立死でよくいわれるが、単に地域からの孤立や疎遠さが導くものではなく、高齢者自身が社会参加やセーフティネットを拒否するといことが起きている。
 
東日本大震災で亡くなった方のうち、1万3000人以上が高齢者。老々介護の現実にみられるように、地域から若年層、中年層が流出し、地域の安全管理を高齢者自身が担っている現実がここにも浮かびあがってくる。過剰流動性が生んだ、地域の大きな課題。

しかし、オレ自身、そのひとりとして、親から遠く離れて自分の生活をつくっている。その中で、おふくろの臨終にも立ち会えなかった。
 
作品企画をやっていると、そんなふうに、自分自身の至らない現実に向き合わされる。親や高齢者は、子どもの夢や希望を少しでも実現してほしいと願う。そのために、役立ない自分たちが、子どもの負担になってはいけない…それが70歳以上の方々の基本的な姿勢ではないだろうか。
 
同時に、市町村においても、近隣の人に迷惑をかけてはいけないという感情を生む。そして、高齢世帯だけで問題を抱え込んでしまう。孤立死の多くに経済的な問題、生活光熱費すら滞納しているという現実がある。しかし、それをだれにも相談したり、地域の保護を受けようとしていない例が多い。

しかし、それをかつてのように、子どもや近親者の責任だ、近隣住民の冷遇…というだけで問題は解決できない。子のように、そうした人々支える地域のしくみをつくるしかない。限界集落であれば、近隣の市町村、あるいは、まったく地域の違う地域の人々がその代役を担うしかない時代にきている。そして、高齢者を地域の中に取り込み、生きがいや生活の喜びをつくりだすことだ。
 
徳島県の取り組みを調べていて、目を見張る実施事例や試験的な取り組みがあることに驚いた。MOVEが取り組もうとしている被災地を中心とした地域新生のヒントにもなるアイディアに溢れている。
 
そして、ふと、自分がいかに地域というものをないがしろにしきた人間なのかということに向き合わされている。きっと、オレ自身がセルフ・ネグレクトを生きてしまうような人間だったのかもしれない。