秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

問い続けること

震災から100日の法要での取材を区切りにして、昨年の夏にまとめた自主作品、「失われたいのちへ誓う」「いじめなんかいらない」の2作品が大きな反響を呼んでいる。
 
3.11を前にしているということもあるだろう。震災後の緊急対策や支援などで、あの日からいままでを振り返るゆとりがなかったということもあるだろう。ひとつのけじめを迎えて、もう一度あのときとあのときから数カ月後のあの時間を振り返ってみよう…そんな思いもあるのかもしれない。
 
いま振り返れば、われながら、まるで何かに憑かれたように、いわき、会津若松、郡山、須賀川、白河を回り、いわきの被災した海岸線の100日法要まで、涙することもできず、被災した海岸、避難所、商店や家々を取材して回った。東松島石巻にも足を運んだ。

あの時間がなければ形にできなかっただろうし、よくあれほど大胆な取材ができたものだとつくづく思う。そして、こちらの思いが通じたのか、たくさんの貴重なコメントを収録できていった。

いのちのこと、地域というもののあり方、原発の問題…そして、それら、突き付けられた課題に、どうのような意志と考えで取り組むのか。何を見て、どこに視点を置いて、課題と向き合うのか。
 
自分という人間は、そこにどのような汗と労力を費やせるのか。被災地の人々から信頼をえる行動や発言とは何なのか。
 
それらが、これからのこの国、地域、市民にどのような未来像を示せるのか。
 
ひとつの問いからまた次の問い、そして、また、その次の問いへと問いは広がっていく。よく、こうすればいい、こうするしかないといった言葉を聴くが、被災地と東日本大震災を抱えてしまったこの国が歩む先に、短絡的な回答などない。
 
被災者のあり様が一律ではないように、被災のあり方が同一ではないように、提出しなければならない答えはひとつではないのだ。だからこそ、そこには常に問いを持たなくてはいけない。一つ一つを問い続けること。問い続けながら、そのとき、その場で与えていける回答を積み重ね、明日への確かな杭を一つ一つ打ち続けていくしかないのだ。