明日から徳島
日比谷派遣村など、派遣切りが社会的な話題になるその前、明らかに1周早いランナーのようにその作品をつくった。題材を決めたのは、当時の専門委員の先生たちだ。進取の着眼は見事。
そして、いま、反格差のうねりが世界中を覆っている。逆に、格差をあれほど社会問題にとりあげていたこの国は、いまや実におとなしい。
だが、それが縁で、徳島県の人権センター、あい・ぽーとで、オレの作品の上映会と講演をセットで実施してもらうことが多くなった。今回は、今年秋に完成させた、いわき市を中心に石巻などで取材した映像を織り込んだ作品、「失われたいのちへ誓う」の上映と講演。
震災からしばらくして、原発事故と放射能汚染のため、福島県から避難した人々がいろいろな差別にさらされている現実がある。東京のマスコミはほとんどそれをとりあげないが、福島県内を取材していると、地元の報道機関や県の相談所などに、それがずいぶん寄せられている。
いわき出身者にもそれはあると、先日の大いわき祭やこの間のあいさつ回りでも話を聴いた。小学生の子どもが、いわきナンバーの車を見て、「あ、いわきの車だ!」とまるで危険なもののように指をさすという。
震災によって受けた心の傷のほかに、他県や都市部でそうしたいわれなき差別の眼を向けられる…その現実について語りながら、いつもオレがいう、無知が引き起こす無自覚な差別について語ってこうようと思っている。
格差と差別…それは、震災前からこの国にじわじわと広がっているし、これからもっと広がるだろう。
一部の人間だけが豊かさを享受できる市場至上主義社会を選択した多くの国が、いま、大きな地殻変動を起こしている。ギリシャ、スペイン、ベルギー、イタリアと広がっている先進国の破たんは、これまでの自由主義競争社会が国を滅ぼす危険に満ちたものだったことを露呈した。アメリカ、イギリスでさえ、その危機のギリギリのところにいる。
拝金主義や商業主義をよしとする端面的な生き方ではなく、一部の受益者だけを生み出す社会ではなく、すべての人々にとってよき社会とは何かを真剣に問い直すときが来ているのだ。
拝金主義や商業主義をよしとする端面的な生き方ではなく、一部の受益者だけを生み出す社会ではなく、すべての人々にとってよき社会とは何かを真剣に問い直すときが来ているのだ。
徳島から戻ると、つぎは再度いわきへ。次のいわきは映画のシナリオハンティングを兼ねていこうかとも考えている。