秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

オレはなりたくない

編集用シートづくりで日曜、月曜と時間との勝負。代官山のスタジオにシートを持ち込み、プレビュー用のDVD-Rを受け取ると、その足で、銀座へ。
 
東映でのプレビューが終わると、女優のUに紹介されて以来、よく顔を出す喫茶グリックでひとり、MA用の指示書づくり。その足で、東銀座にある制作会社で初めて組むMAスタッフと打ち合わせ。編集後の詰め作業、なんとか予定の作業をこなせたと、ほっとして乃木坂につくと、携帯に制作会社のプロデューサーから着信と留守電。
 
2月に入ってから仕事以外、ほとんど酒も飲めず、休みもなかった。今夜は飲んで、明日はゆっくり起きよう…などと考えていたら、そんな気分のオレをよそに、びっくりするような修正課題が出ている。
 
で、問い合わせてみると、明日、再度、確認打ち合わせとなっている。
 
さすがに、チラリと心の刃が光る。できるだけ冷静にとは思っていても、疲れと睡眠不足、思うように展開しない作業状況で、カリカリしていた気持ちを東映のKプロデューサーにぶつけてしまう。いつもながら、こんな奴ですみません。
 
オレたち制作マン、クリエーターにはつきもののことながら、台本で確認をとり、現場の限られた条件の中で、なんとかいいものを…とやっても、まとめ作業に入る頃に、当初なかった要望や意見が押し迫って出されるという理不尽なことは、どうしても納得がいかない。
 
30代の頃、よく、それが仕事というものだ…といわれ方を先輩たちからされた。確かに、思うように進行しなかったりするのは世の常、また、もっといいものをという気持ちがそうさせるのはわかる。だが、それが仕事の常識なら、仕事そのものに常識がないということになる。
 
当初の予定が変わり、違う対策を立てなければいけないことは、百歩譲ってもいい。
 
だが、それが実は非常識なことなのだという反論や意見の交換はあってもいい。いや、なくてはならない。それもなしに、こうしろ…では、つくり手の尊厳が守られない。
 
今朝、場合によっては、再撮影も辞さない覚悟で資料や映像を再確認し、対策を考えて、これで押すしかないと乃木坂を出る。だが、一番に思ったのは、昨夜の非礼をKプロデューサーに詫びなくては…という思い。お会いしてすぐ、まずは、昨夜はすみませんでした…とお詫びする。
 
きっとKさんは、昨夜のオレの剣幕を知って、打ち合わせがもめるだろうとも考えていたに違いない。だが、もめようとか、こちらの困惑をぶつけようとかは思っていない。どうすれば、作業をとめず、かつ要望を入れて前へ進めるか…それだけだ。
 
ああでもない、こうでもないと責任を言い合ったり、非難をしていて、仕事が前へ進むわけはないのだ。何事にせよ、前へ進めること。そのために知恵と工夫をこらすことでしかない。ただ、その前向きな意見を取り入れてくれるかどうかは、相手次第。
 
そこで、速攻で、こちらの対策案をぶつける。予想したとおり、話を聴けば、突然ふってわいた注文が、実は、いろいろと物議のある問題であるという認識をクライアントも持っていて、調整はすんなりいった。
 
こうした場面に遭遇して、いつも思うのは、腹案をしっかり持っているか…に尽きる。腹案というくらいだから、腹の座ったところで持っていないといけない。そこで反論されたり、違う意見にぶつかって、おろおろしてしまう腹案はまったく力がない。再撮影も辞さない。そんな思いがあったから、腹案になったのだ。
 
断っておくが、オレはこの世界に入ってから再撮影などという愚かなことは一度もやていない。それはクリエーターとして恥ずべきことだと確信しているからだ。そのために、いろいろな確認作業もやれば、思いも抱いて現場にいる。また、ごまかした編集や後処理も好きではない。本来なかったものを接ぎ木のように接ぎ足して、美しい姿が生み出せるわけがないのだ。
 
そのオレが再撮影も辞さずと覚悟するとどういうことになるかw たけり狂うのはではない。確信を持って語るということだ。
 
この世の中、こうしたときに大きく譲る人がいる。あるいは、ことなかれで先回りして丸く収めてしまおうとする人もいる。その積み重ねが、制作者に対する理不尽な環境を生み出してきた。人権でもよくいわれることだが、不具合があれば、堂々と語り合うこと…それしかない。それでしか道は拓けない。

仕事をもらっているから…とか、この仕事がなくなると困るし…とか。そういうレベルで仕事をしてはいけないとオレは思っている。頑強に自分の主張だけを通そうというのではない。互いに対等の立場で、きちんと意見を言い合い、おかしいことにはおかしいといえる関係でなければ、いい仕事などできないだろうといっているのだ。
 
それを多くの人は理想だという。現実はそんなもんじゃないという。だったら、理想を持てばいい。現実を変えればいい。理想を持ち、変える努力をしなければ、後に続く若い奴らに申し訳ない。自分の息子が同じ場面に直面して、相談されたとき、親として確かな答えを語ってやれない。
 
そんな親にも、先輩にも、男にも、時代遅れといわれようが、オレはなりたくない。