秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

作家の感謝

産業医のT先生から、台本についての丁寧なアドバイスをいただく。
 
東映のCプロデューサーやこうした専門家のアドバイス、そうしたものをもらえることで、自分が台本を書く上で、どうしたものかと悩んでいたこと。A案でいくのか、B案でいくのかと迷っていた、ひとつひとつがほぐされたり、落としどころが見つかったりすのは、本当にありがたい。
 
もがきながら書く台本を批判されて気持ちのいい作家はいない。だが、よりいい作品を、より人に届く作品のために、という思いがあれば、指摘された点を再検討するのは、やぶさかではないし、できるだけそれに応えようとした方が、最終的には、うまくいくような気がしている。
 
向こう気の強いオレは、否定的な言葉でこられると、生来の反抗的な体質から、素直に受け取れないときもあるが、実は、言われたことは結構、最後には受け止めている。なんとか、取り込めないか、捨ててしまった別案が生かせないかと、苦労は承知で、影であれこれ工夫している。
 
それでも無理という場合は、無理というが、ドラマ性にこだわり、走りすぎるオレには、そうした圧力や抑止があることは、いいときが多い。
 
おふくろが、幼いころから、オレの性格を心配してよくいっていた。
 
「あんたは、無理ってわかっとうとに、強引に前へ進もうとする。失敗してから、気づくタイプやけんね。困ったもんたい…」。
 
10代の中ごろ、こうした制作の仕事についてからも、先輩といわれる人間や立場が上の人間に気を遣い、それに従ったために、最悪の作品になってしまった経験がいくつかある。
 
どうしてもこうやりたいという後輩の考えにまかせて、失敗したこともある。
 
そんなときでも、表現の中心にいるオレは責任をとらなくてはいけない。最終判断は自分がしたからだ。責任をとるのはいい。だが、悔しいのは、自分の主張の弱さで、結果的にいい作品にすることができなかったことだ。
 
その記憶が、とにかく、自分を信じて、前へ進もうという考え方にオレを執着させたと思う。
 
ときとして、それがうまく働くときもあるが、我執となって、いい意見、適切な意見を見逃すということもある。引くべきときに引けなくて、不要な孤立を招くということもある。
 
だが、適切な意見交換ができ、こちらの意志を聞いてもらい、かつ、相手の意志もわかり、何とかそれに応えようとすると、こんなゆがんだオレにも、不思議と次の道しるべとなり、道を拓いてくれ人が現れる。
 
そんなとき、オレのような面倒な作家を受け止めてくれている、周囲の人間に、改めて、感謝の気持ちでいっぱいになる。