秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

世の中の人は何とも云わばいえ

東映のCプロデューサーと総務省のコンペ企画の打ち合わせ。
 
編集作業の合間を縫っての企画書づくりと打ち合わせ。集中力と濃密に閉じた世界が必要な台本や企画書書き、編集作業の最中、腰を入れた別企画の作成や打ち合わせは、なかなかできなかった。
 
しかし、それがいま、Cプロデューサーのおかげで、できている。役が人をつくるというが、上席に就くようになってから、Cさんは大きくなった。いい意味でのいい加減さも出てきたし、思い切りもよくなったように思う。
 
以前なら、Cさんが、少し抑えてとオレの企画の調整役をやっていたのが、最近は、やっちゃいましょうよと、逆にオレが背中を押されている
 
優秀な官僚らしく、細かい点でのこだわりもあるし、制作の進行状況について、詳細に連絡をくれるのは、相変わらずだが、以前と比べ、鷹揚さと、開き直りが出て、懐が深くなったと思う。
 
押せ押せができるのは、Cさんが、男として、一番仕事ができる時期を迎えているからだ。
 
オレがCさんの大変な立場を思うようになり、大変さを軽減しようと、少し引き目に立ち位置をとるようになると、逆にCさんは、オレが本当にやりたいことを読んでくれるようになったということもある。
 
物づくりには、人それぞれの思いがある。それが完全に一致するということは難しい。だが、どこかにきっと着地点はある。物づくりを貫徹しようとすれば、着地点を探す努力を、そこに関わり合っている人間たちが、それぞれの思いを胸に向き合うことだ。
 
それが時に売上をあげるためだとしても、オレたちの仕事は、最後は、人に伝え、心を動かすことでしかない。心を動かすことが、そのままお金につながらないこともある。
 
しかし、それでも何事かを表現しようとする人間は、最後に伝える人と向き合わなくてはいけない。と、オレは思う。
 
我執にとらわれてはいけないが、他人や人の目、世の常識を優先させていては、きっと表現者としては、ダメになる。最後に届ける人の顔が見えなくなるからだ。
 
この不景気の中、うちの会社も業態の変更や改革に取り組まなくてはいけない時期にきている。そのとき、道を拓くのは、思いを最後に届ける人の顔が見えているかどうかだと思う。
 
ときとして、それは、孤独と背中合わせの選択かもしれない。だが、ある偉人がいっている。
 
「世の中の人は何とも云わば云え 我なすことは 我のみぞしる」
 
30歳のとき、伏見の寺田屋にいって買った短冊の歌。龍馬の歌だ。