秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いくつもの笑顔

3月2日からのクランクインへ向けて、慌ただしい。
 
当初から脚本家・監督としてのオレはいわきロケを組んでいたのだが、撮影日程を調整していると、天王洲のロケが半日で終わる。そこに、いわきで予定しているロケを入れれば、2日のいわきロケはなしにすることもできた。経費の問題だった。
 
脚本家である自分は常に、監督のオレにアレンジされ、そして、プロデューサーであるもうひとりのオレに否定されるw 予算ありきと内容ありきのせめぎ合いだ。それをひとりの人間がやっているのだから、文句をいう奴はいないが、ときとして、忸怩たる思いをひとりで仕舞い込まなくてはいけないこともある。
 
が、しかし。
 
今回はうちの助監督、といっても別作品では監督もやるオレより年長の、映画の世界ではセンパイにあたる男が、珍しく猛烈にオレに意見してくれた。「いくべきでしょう。それがあるなしで、この作品は大きく変わる」「あんただって、わかってるはずだ」「経営者でプロデューサーだから、削りたい気持ちはわかる。だが、ここはギャラなしといっても、スタッフはあんたについていくよ。そこでやりたい、やらなくてはいけない理由がわかっているからね」…
 
オレがただの監督だったら、プロデューサーを必死にくどいていただろう。それをズバリいわれた。

秀嶋組は、オレが福島をやり出してから、ほぼ2年、フルメンバーで仕事をしていない。新人照明家大賞にノミネートされたこともある、照明のSは、末期がんのかみさんをみとってから、現場の仕事をやめていた。エネルギーがない、創造しようという意欲が沸いてこない…そういっていた。「そろそろどうだい。もしやれるなら…だけど」。被災地石巻市郊外の出身であるSにそういうと…
 
「このままじゃいけない…とは思っていただんです。まだ迷いがあります。でも…監督の仕事だったら、やっていもいいですよ。いえ、やりますよ」。

照明のSが戻ってくる…それを秀嶋組のスタッフに知らせると全員が元気になった。連絡したどの声も、秀嶋組がまた集まる喜びで弾み、携帯の向こうに奴らの満面の笑顔が見えた。だれ一人欠けても秀嶋組じゃない…みんながそう思っている。

撮影にはいわきの海鮮卸のOさん、福島民報のKさん、そして、いわき福島復興オフィスのIさん、MOVE事務局のSさん、Power of Japanの副代表で、仲間の中華料理人Yさんの力を借りる。いわきロケの告知をFMいわきやジャーナルのAちゃんにもお願いするつもりだ。

制作協力に、湯本温泉の支援活動をやった会社経営のMさん、以前から制作協力で出資してくているアニメ大手子会社のKさんも参加してくれるよう検討してくれている。

うちの自主作品にもかかわらず、出演者が多いため、異例で東映本社がオーデションルームを貸してくれることになった…

撮影段取りをすませると、オレは会津、二本松、塙、福島、いわき、南相馬を回る。月末には戻り、MOVEの中心メンバーと会合。ネットワーク事業の段取りをすませてから、3月撮影と編集…

その慌ただしさと困難も、いくつもの笑顔が支えてくれている。こんなどうしようもない、ヘンな奴を…ありがたい。