秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

路地

2月11日の徳島の映画上映会と講演会の次に、制作ではないが
監督のみの仕事を頼まれた。となると、時間が足りない。
 
となると、狂気モードに入らないと映画企画と小説の脱稿が間に合わない。となると、本も読めない。ということで、まず、本を読み終えるw
 
昨年末の新年号FIGAROで紹介されていた何冊かを読んでいたが、同じく紹介されたいた、オレの仕事とも関係のある本がTUTAYAで目にとまる。

いまでは中上健次という作家を知る人は少なくなっただろう。和歌山の同和地区の出身者で、紀州熊野を舞台にした土俗的な小説で脚光を浴びた。中上は、同和地区のことを路地と呼び、世の中の表舞台と対局にありながら、表舞台を影で支えて続けてきたその歴史と精神、情動を小説の根底においていた。
 
その中上の路地という言葉にこだわり、全国の路地をまわった、ルポライターの本『日本の路地を旅する』(上原義広著・文藝春秋刊)。これには、文春あっぱれ!

上原自身、京都の同和地区出身者。ある意味、上原自身のルーツをだどるという旅だ。江戸時代、浅草界隈で皮革産業を支えていた弾左衛門を頂点として、同和地区の人々は生活を通じて独自の全国ネットワークを持っていた。それをたどる旅。
 
吉田松陰が密航に失敗し、野山獄に投獄されていたときに出会った、久子との恋の話と後に高杉晋作奇兵隊に同和地区出身者を多数募った下りはおもしろい。
 
NHKの大河や小説では、久子は娼婦や単なる不義密通者のような扱いになっているが、実は士族の出自で、きちんとした名家に嫁いでいた。夫が亡くなってから、下々の用事を頼むうちに同和地区の男数人といい仲になり、それが近親者、武家屋敷一帯の噂となり、投獄されていた。まさにDH・ロレンスの世界。
そもそも、士族専用の牢、野山獄に娼婦が投獄されるわけはないのだが、テレビや小説では、そこにふれると同和地区の話題を登場させざるえないので、うやむやに省いてある。

反社会の松陰と久子を近づけたのは、この社会のルールをすっとばした久子の性的自由さ、当時の士族の妻では考えられない強烈な反社会性だ。

松陰が松下村塾で教えた期間はわずか2年にも満たない。しかし、その中で身分に関係なく教えを授け、その中で、同和地区への差別の無意味さも語っている。その影響もあり、高杉は、幕府軍との決戦に向けて、骨抜きになった藩の武士ではなく、世界の底辺ではいつくばって生活する同和地区の若者たちの新しい時代を求める力に期待した。それが奇兵隊
 
奇兵隊とは、正規軍ではないという意味合いのほかに、社会では奇なるものと賤民視されていた同和地区の人々を中心にした軍団だったからだ。
 
ちなみに、同和地区の人々は、もともと猿回しや漫才などの遊興芸、売春を組み込んだ舞踊、芝居などの芸能、生き物の皮革をつかう太鼓や三味線づくり、神社仏閣や屋敷の清掃、厠処理、処刑場に関わる仕事、死牛馬の処理、埋葬に関わる仕事、屠場作業、皮革作業、染色…など多くの人々が手を汚したくない、生業にしたくないという仕事を引き受けてきた。
 
ここから漫才や歌舞伎といった芸能、能楽藍染などの芸術文化が花開き、御庭番という草の者=忍者が生まれ、諜報活動が生れる。清掃業、冠婚葬祭業の原点もここにある。食肉や皮革文化は明治に始まったのではなく、平安の昔からあった。
 
厳密には、教育を受ける金もなく、出自の差別があり、土地持ちでも小作にもなれないから、そうした生業で生きるしかなかったのというのがある。中にはそうした生業で成功した人々も少なくはない。江戸時代から肉食文化のあった彦根藩の士族は、そうした成功した人々から借金をしている。まさにシェークスピアの「ベニスの商人」。

ことほどさように、オレたちの社会は実は、影で同和地区の歴史によって底辺を支えられてきたし、現実にいまもその文化によって支えられている。
 
自分たちの生活を知り、生活にリアリティを与えるためには、それを知ることだ。同和地区に限らず、だれがか、きっと自分がいやだという仕事をこの世の中は支えてくれいる。声高に人権などと叫ばなくていい。大事なのは、そこに正しく眼を向けているかどうかだ。
 
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