秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

歌の次にくるもの

この数年前から「昭和」がブームだったことを覚えている人はいるだろうか。
 
火つけ役は、映画「Allways 三丁目の夕日」という人もいるが、実は、そのだいぶ前から、下町の駄菓子屋文化や路地裏文化が至る所に登場していた。
 
テレビドラマや映画では、昭和に放送されたり、上映された作品のリメークや昭和を舞台にした作品がずいぶん制作されていた。もっとも象徴的だったのは、NHKのヒットドキュメント「プロジェクトX」だったと思う。
昭和の復興期から高度成長へと向かう中で、企業人、市井の人々がどのようにそれに関わったかを一つ一つの開発事業を通じて描いていた。そして、そこにあったのは、昭和を生きた人々に共有されていた、ある思いだ。

戦後の貧しさを克服しようという願いであり、世界の孤児となった日本を技術力やチームワークで再生しようという熱意だった。プロジェクトにかかわる全員が寸暇を惜しみ、身を粉にして努力することで、物も金も十分ではない中、至難といわれる壁をサムライ精神で乗り越えた…その時代への郷愁だった。
 
企業や職場の仲間は、夢を追う、同志であり、家族。地域も商店街や町工場、飲食街、学校、郵便局が共同体のつながりを持ち、小学校で運動会があれば、それは地域の祭りとなっていた。
 
その「昭和」をこの国は、ずいぶん前から一つのブームのように振り返ってばかりいた時期があったのだ。
 
それはなぜか。
 
いうまでもない。成熟社会が到来し、物があふれ、家族や地域がゆるみ、終身雇用がなくなった。個人主義が貴重とされ、それぞれが自由と自己責任の時代だといわれ、多様性と流動性が社会を覆い、昭和を支えててきた、いやこの国を支えてきた一枚岩のシステムが、競争原理と格差によって溶解、寸断されていっていたからだ。

だが、その振り返りは、郷愁の度合いが深く、それを失ってきたこの国の現状が人々にとってどうなのか、いまの現状をどう変えればいいのか…という力やメッセージにはなっていなかったと思う。

前にも紹介したように、いま、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」が被災地を始め、至るところで歌われている。
 
実は、それは、戦後65年の経済優先の社会の中で、人々がいまや共有できる思いがないことを知るがゆえに、かつての日本人が共有しえていた歌を通じて、改めて何事かを共有しようとしているだけのことだ。そうした幻想がなければ、いまの難局を越えていけない…ということが理屈でなくても人々にはわかり始めている。
 
たとえば、経典宗教の国々では、困難の中にあって、共に手を合せ、祈りをささげる共通の神がいる。それがあることによって、常に人々には共有の社会幻想が成立する。それが社会の規律や規範、そして法にまで関与し、人々の不安や不満を調整する役割を担っている。
 
しかし、戦後日本は天皇教を捨てた。以来、この国には、人々の行動原理や規範を既定する基準がなくなっている。おてんと様に恥ずかしい…というようなあまねく人々を律する基準がないまま、戦後を走ってきたのだ。それは、世界でも類のない無宗教国家の再生と成長だ。
 
宗教にこだわらなくても、何事か人々が共有できる普遍的な価値をオレたち日本人は持っていない。戦後、これまで日本社会が奇跡ともいえる、集団主義や画一主義を実践できていたのは、あくまでも戦前の教育を受けた人間が社会の中枢にいたことと無縁ではない。また、「上を向いて歩こう」などに見られるように、貧しさから這い上がりたいという思いを共通の意識として共有できたからに過ぎないのだ。
 
だから、福島の原発事故による、福島差別が何の疑問もなく起きてしまう。風評が容易に人々の消費を規制してしまう。電力を消費していた生活者である自分たちの責任は問わず、政権や東電を批判することが安易にできてしまうのだ。

前にも述べたが、この国はいま相対的な関係を生きている。被災地における格差は今後、復興という中で、より鮮明になる。そのとき、被災地内、被災地間でも、福島差別に見られるような問題が起きないという保証はどこにもない。

いま何をしなればならいかと同時に、被災しなかった人間には、歌を歌った次の社会をどうするかを被災地の現実と向き合いながら、考えるときにきている。