涙の河をふりかえれ
まだ、10代後半で突然、現れた少女に人々は圧倒された。
それは彼女が演歌歌手でありながら、和服も着ず、黒づくめの衣裳で、笑顔もなく、かつ、若く、美形だったからだけではない。その声に秘められた、覚めた怒りのようなものに、人々は動揺したのだ。
時代は高度成長期から成熟社会へと向かう頃だった。彼女の声には、豊かさへ驀進するこの国の人々が、どこかで忘れようとしている、忘れたふりをしているものを「そうじゃないだろ!」と強く、揺さぶる力があったと思う。
彼女がそれを意識したのではない。意図したものでもない。彼女自身は、貧しいながら、ごく普通の少女に過ぎなかった。だが、その声と歌でしか身を立てられない生活の重さで、そして、歌のうまさと発声の確かさで、人々にそう感じさせただけだ。
あの頃、中卒の就職は少なくなりつつあったが、まだ続いていた。だれでも、思う人生を生きられる時代でもなかった…。オレの中学の同級生の何人かもそうだったし、後に、広島に就職した少女二人は、二人して自殺したと聞いた。
高卒の就職が当り前の時代だった。
戦争から25年以上が経ち、その記憶を封印しようとしていた頃、沖縄の基地問題だけでなく、全国各地にまだ米軍の基地問題は存在していた。戦争の傷跡も、そして、国民全中流意識とマスコミが騒ぐ時代に、同和地区や在日朝鮮、韓国人への差別も、身障者やハンセン病患者への偏見も…依然、明確な形でこの国にはあったのだ。
どこかで目をつぶり、耳をふさぎ、自分の生活の安定だけを考える時代の幕開けに…藤圭子が登場した。それは、大衆を揺さぶる以外の何ものでもなかった。
五木寛之が、小説『涙の河をふりかえれ』で、藤圭子らしい人物を芸能界がつくりあげる様子が描かれている。決して、本人は、演歌をどうしても歌いたいわけではない。アメリカンポップスを歌い、笑顔をふりまき、アイドル歌手のようにしたい気持ちもある…だが、プロダクションもレコード会社も、彼女に暗さを求める。
五木寛之が、小説『涙の河をふりかえれ』で、藤圭子らしい人物を芸能界がつくりあげる様子が描かれている。決して、本人は、演歌をどうしても歌いたいわけではない。アメリカンポップスを歌い、笑顔をふりまき、アイドル歌手のようにしたい気持ちもある…だが、プロダクションもレコード会社も、彼女に暗さを求める。
大衆が求める暗さ、偶像を本意ではなく、生き続けるということは、そういうことだ。
泣きたい大衆のために悲劇のヒロインであり続ける。だが、それをひとりの少女がどこか無頓着に、ある意味、したたかに、生きる…その思いがさらに、彼女の声に覚め怒り、大衆へ向けた刃となり、それがさらに、大衆の心をひきつける…そんな姿を描いていた。
藤圭子が歌をやめ、アメリカにいって英語を勉強したいと宣言したとき、それは、いままでえられなかったものを手に入れたいからだろうなと思った。中卒で勉強も十分できなかった時代をいまから取り戻したい…。人のあやつり人形のようには生きたくない…彼女はきっとかしこい人だったのだ。
藤圭子が歌をやめ、アメリカにいって英語を勉強したいと宣言したとき、それは、いままでえられなかったものを手に入れたいからだろうなと思った。中卒で勉強も十分できなかった時代をいまから取り戻したい…。人のあやつり人形のようには生きたくない…彼女はきっとかしこい人だったのだ。
それは、娘の宇多田の精神のどこかに確かに引き継がれている。
あるおバカな芸能雑誌の記者が、「こんな恋の歌をつくれるのは、やはり、いろいろな恋をしてきたからなんでしょうね?」と聞いた。
あるおバカな芸能雑誌の記者が、「こんな恋の歌をつくれるのは、やはり、いろいろな恋をしてきたからなんでしょうね?」と聞いた。
宇多田は答えた。「私はプロの歌手です。自分の経験を歌にするのは素人のやることでしょう。プロは、自分の経験していなことをさも自分のことのように、歌にし、そして歌うからプロなのです」。
藤圭子はきっと一緒にいると男性には面倒な女性だったと思う。だが、だからこそ、彼女は自分を自由にしてくれる異性、父性を求めていたのではないだろうか…
時代を動かし、時代と寝させられた女性。そして、女性として自立を目指した女性。
時代を動かし、時代と寝させられた女性。そして、女性として自立を目指した女性。
彼女の仕事は、確かに、すでに終わっていたのかもしれない。