秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

秀嶋組新年会

昨夜は、いま現場についていない秀嶋組スタッフの新年会。
 
とはいっても、例によって、乃木坂秀嶋カフェでオレの鶏塩鍋をむさい男たちでつつく飲み会。
 
昨年、奥さんを亡くした照明技師のSは、まだ心の回復ができていない。照明チームの仕事ではなく、機材を搬送するドライバーの仕事をあえてやっていると電話で話してくれた。
 
「モチベーションが上がらない。自分がこんなに繊細だったとは…驚いていますよ」。その声は落ち込んではなかったが、まだ、しばらく現場への復帰は難しいと感じた。「飲み会、断るのも悪くて、連絡できなくてすみません…いま大坂です」。
 
この世にはいろいろなストレスがあるが、恋人や妻子との離別は、人が受けるストレスの中で一番高い。それは、ジェット戦闘機のファィターが空中戦で感じるストレスに匹敵する…ということを精神科医斎藤環から聞いたことがある。
 
根っからの映画人で、かつて日活で助監督をやり、東映テレビ朝日の作品に関わり、いま、うちで助監督をやってくれている還暦を過ぎたYは、現場の映画スタッフらしく、本当に酒好きで、昨年、糖尿病で何度も入退院を繰り返している。
 
『悪人』『多田便利軒』など邦画の名作の音効に携わってきたKは、昨年独立したが、思うように仕事が回っていないらしい。映画はスタッフの映画への思いだけで支えられている部分がある。拘束期間が長い割に、ギャラはそれほどでもない。テレビ嫌いで、佳作映画をこのむKのような男は苦労する。

 
カメラマンのHのところも最近、仕事が減っているという。技術系では営業に限界もあるのだろうが、Hもそろそろ、仕事を選んでもいい歳になっている。

うちの最初の助監督につかせ、撮影会社に入社し、カメラマンになったTは、昨年独立した。先輩に愛される男だから、なんとか仕事をつないでいると思うが、大変さは多いだろう。Tも何かの形で秀嶋組に復帰したいと願っている。

だいぶ遅れて、物いう舎弟のS。うちの助監督アシスタントを時折手伝ってもらっている。いつか、環境が整えば、奴の得意な広報宣伝やプランニング、プロデュースで貢献できる奴。

昨年劇場にも、レンタルショップにも足を運ばす、映画とふれる機会がなかったオレが、この年末年始50本以上の映画を観て、これはという作品の話題に始まり、以前から撮りたいと考えていて連中もよく内容を知っている映画企画の話題で盛り上がる。

こういう映画…というこだわりが秀嶋組のスタッフにはある。もちろん、その中心にいるのは、監督で、脚本も書くオレだが、オレが求めている作品世界のイメージが、長く仕事をやっているうちに共有できるようになっている。
仕事の展開や段取り、作品への思いや熱意も温度差がない。

参加した俳優たちが、秀嶋組の動きをみて、その仕事の速さや意志統一の凄さに驚く。ベテラン俳優ほどそうだ。どのような規模の仕事でも、その中でそれぞれの部署のそれぞれの人間がベストを尽くす。愚痴はいわない。だからといって、やむえない現実的な現場の事情も無視はしない。それが大人の仕事と全員が思っている。

つまりは、サムライの集り。唯一、ヘアメークでかかわっているHが女性だが、土佐の女は、むさい男たちに負けない男気がある。
 
こいつらの思い、オレの作品に期待してくている願い…そうしたものを形にし、いつまでも現場に共にいたい…そう思える連中だ。そのために道を拓く努力と工夫は、オレが引き受けなくてはいけない…